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書き初め


2015年か16年ごろに、哲学者・内山節氏の講演を聴きに行った。内山さんは「未来に残したいものは何か?」と参加者に問い、聴講後、用意された紙に僕は「希望」と書いた。「希望」こそ何かをドライブする原動力だと信じているからだ。

さて、昨年の暮れ、僕は55歳になった。しかし、いつもとは違い、歳を重ねたことを素直に喜べなかった。世界を見渡してみると、ロシアとウクライナの戦争はまだ続いているし、おまけに昨年10月にはパレスチナとイスラエルの戦争が始まった。環境問題も待ったなしだ。自然破壊や温暖化による気候変動は目に見えて深刻化している。経済も然り。こうした出口が見えない、いわば、耐久レースを強いられているような厳しい状態において、「希望」をなくしてしまったわけではないけれど、根拠もなくただ「希望」を持つのは容易なことではない。

そんな悶々としていたある日のこと、テーブルの上に、妻が義父ちちに手渡されたと思われる新聞の切り抜きが置いてあった。切り抜きは全部で3枚。見出しを読んでみる。

「結論急がず、悩みに耐える」
「決めつけや浅い理解 不寛容の行き先は戦争」
「長い目で問題考える 気候変動も経済成長も」

寄稿者は、作家で精神科医の帚木蓬生ははきぎ ほうせいさんと環境ジャーナリストの枝廣淳子さん。二人に共通するのは「ネガティブ・ケイパビリティ」と言う言葉。聞き覚えはあったが意味までは知らなかった。帚木さんは「論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力」とし、枝廣さんは「問題に即座に結論を出さず、答えを保留して適切かどうかを深く考え続ける力」とそれぞれ説明している。

人間の脳は、ひたすら出口が見えない状態に耐えられず、結論を急ごうとする。「そこに落とし穴がある」と帚木さんは指摘する。「深い問題が浮かび上がらないまま、浅薄な理解にとどまってしまう。だから結論を急がず、逃げずに問題に向き合うこと。これがネガティブ・ケイパビリティの力なのだ」。

記事を読んで、悶々としていた自分の状態をわかりやすく解説してくれているように感じ、少し救われた気がした。

「希望」を取り戻せたわけではない。しかし、これがどういう状態か、言わば『病名』がはっきりして、あとはその『病気』としっかり向き合うだけ、といったような、少し心にゆとりができたのは、お父さんのおかげである。いつになるか、まだ先は見えないけど、自分自身が根拠を持てる「希望」を掘り起こせるよう、考え続けようと思う。

そういえば、誕生日の夜、長畑くんから恒例のバースデーメッセージが送られてきた。YouTubeから佐野元春の曲を選んで、お祝いのメッセージと一緒にリンクが貼られている。今年の曲は「ジュジュ」。

🎵ジュジュ ジュジュには二度と悲しましたりしないぜ
世界が優しく枯れて見えるとき 心がちょっと傷むだけさ
ジュジュ いつまでもここにいられない
世界が静かに朽ちていくときに 心もちょっときしむだけさ
君がいない🎵

ジュジュ(アルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』(1989年6月リリース)より一部抜粋

いつも彼は、不思議とその時の僕の気分をわかっているかのような曲を選んでくれる。

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