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じぶんのかおがだいきらい

どうも⭐︎

前回の投稿からだいぶご無沙汰してます💦

この度、韓国留学中の友達とお互いをプロデュースしながらnote頑張ろう!ということで、また頑張っていきます!


今日の私のお話は。

大きく言えば
「ルッキズム」についてです。
小さく言えば。その答えはきっと人それぞれです。


まず…

一度、自分の顔が嫌いすぎて、声を上げて号泣しながらバイトから帰ったことがあります。
いつもなら電車と徒歩で30分くらい。その日は2時間くらい8cmのヒールで歩きました。

信頼している人にその悩みを打ち明けても
「へんなの」
その一言で済まされたので、
その人にはそれ以来弱音を吐いたことはありません。

誰かに何かを言われたわけではないのに
自分の中の「正解」にとらわれて、
「不正解」な自分を認められなくて、
それでも誰かに認められたくて。

明らかに自分は物理的にここに存在している。
でも他者からだけじゃなくて、自分もそれを肯定できず
「うう。私すごく空っぽ。」

空っぽってことは何か容器があって中身がないってこと
でもその容器すら認められないのに
結局私は何なんやろう
あるかないかすらも分からない、なす術のない状態で
どうやったら私は自分自身を認められるんやろう 
病むというより、今の自分にすごく好奇心が働きました。


「ルッキズム」




ふとよぎったこの言葉。
たぶん大学受験の英語の長文で読んだことあるんやろなあ。

そこからすごくルッキズムの本を読むようになりました。そして課題を見つけました。



それは
ナオミウルフ氏の

「女性は美しくなければならない」という「美の神話」
という言葉に自分が感じる、共感と疑問と反発心の均衡を見つけることです。




自分はきっとこの神話(ということは実際は存在しないかもしれないおとぎ話要素を含むもの)に縛られているという共感

どうしてわざわざ「女性」と表現する必要があったのだろうという疑問

ここに共感を覚えて縛られてしまう自分と、対象が女性となってしまうストラクチャーに組み込まれている自分への反発心

この3つの均衡を落とし込み、私はあくまでも個人規模で自分の納得する座標を見つけたいです。



ここで何に重きを感じるかは人それぞれだと思います。
「あーわかる!」って共感。
「ところでルッキズムってなに?」って疑問。
「被害者語りですか?」って反発心とかも?笑
「この子何意味わからんこと言って」
「結局個人規模での解決って無責任じゃない?」
ほんまに何でも良い。

きっとそこに正解も間違いもなくて、
もし同じようなことを感じた人がいても、
どう表現するかも自由だし、
そこにも基準はないと思うし、
そして全く同じことを感じて、
同じ表現をする人もいないことでしょう。

冒頭に記したように
「大きく言えば」ルッキズムについてですが、
「小さく言えば」の続きは、最後まで読んでくださった方、それぞれの答えがあれば良いなあと思っています。

それぞれの答えでも、感想でも、疑問でも、何かコメントいただけると嬉しいです!!!

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