【2019春】【薮本先生】西洋法制史 全授業ノート

西洋法制史のノートです。

(テスト後追記)

(このノートだけで書かなくてはいけないことは全てかけました。)

先生がレジュメもなくただ永遠と話しているだけの授業でとてもきつかったです。

けれども世界史のわからない私でもちんぷんかんぷんにはならない授業でした。

1時間半ひたすら話し続けられるのでタイピングの練習にもなりました。

お話自体は楽しいです。

全授業のノート揃ってます。

まとまってなくて全ての情報をそのまま載せているのでテスト前に一回読んだりはしたほうがいいし、正直使い方としては、これを読んでどこが範囲なのか見て教科書見るのが良いと思います。

質問受け付けます。

西洋法制史 第一回

古代の話はしない。教科書でいうと1章2章は扱わない。
時代は中世から近代はじめくらいまで。ここでいう西洋は、欧州のことをさしている。
 では、ここでいうヨーロッパは何を指しているのか?観念的な存在である。目で見てこれ、ということはできない。たいていは歴史や文化を共有して終わり。どこまでがヨーロッパなのか?範囲の問題。境界線の問題。必然的に重要になるのは地理的な広がり。領域。文化圏。アジア文化圏。ヨーロッパは東の境界線が曖昧。西はスペインのジブラルタル海峡が西の端。ロシアはどこ?私たちが西洋っていうのは西ヨーロッパ。EU加盟国がヨーロッパなわけではない。東欧は?
 決着はついていない。トルコっていう国。かつてはビザンツ帝国。トルコがEUに入りたいって言ったことがかつてあったけど拒絶された。理由は?ギリシャ文化圏に入っている。ギリシャはEUに入っている。キプロス島っていう島があってトルコ系の人とギリシャ系の人に分かれている。なんでだめなのか?イスラム教のことを差別しているのではないのか。そこで、ヨーロッパはキリスト教文化圏のことをさすのではないのか。東の方は東方正教会の人たち。彼らは別?フランスの将軍シャルルドゴールがヨーロッパの勢力範囲をどう分割するのか話し合うときに「ヨーロッパは大西洋に始まってウラル山脈に終わる」と話していた。大西洋が端っこだというのは昔からあった。スペインの国旗に二本の柱がある。ヘラクレスの柱とよばれている。ジブラルタル海峡にあったとされる世界の七不思議であるヘラクレスの柱。そこにスペインの国のモットーが書かれている「plus ultla(もっと先へ)」。これは大航海時代にスペインが地の果てだと思われていたヘラクレスの柱を越えてアメリカの方まで支配するんだという意気込みが示されている。ヨーロッパの人たちにとって世界の端っこはジブラルタル海峡。
 実際に我々がヨーロッパだと考えている領域はいわゆるゲルマン人が入ってきて定着した領域がヨーロッパ。西洋法制史って言ったときにヨーロッパはゲルマンの人たちが入ってきた文化圏がヨーロッパ。ウラル山脈まで勢力を拡大していた。五世紀の終わりごろにゲルマン人が大移動されてきたとされている。ゲルマン人の大移動が歴史の上でもつ意味はヨーロッパに安定をもたらしたことだとされている。ゲルマン人が移動してきたのは西ローマ帝国が事実上崩壊するとき。西ローマ帝国のはしは移民たちが絶えず侵攻を繰り返してきた。弱体化していたから。群雄割拠。中国でいうと春秋戦国時代。そこでゲルマン人たちがゲルマン部族王国を作っていた。その領域がヨーロッパの地理的な分割の一つの根拠になっている。フランク人たちがいたのがフランスになっている。ドイツもそんな感じ。ランゴバルド人がいたのがイタリア。そうしたゲルマン部族王国が国民国家と考えるもののベースになっている。ゲルマン部族王国を統一するのがフランク王国。カール大帝がヨーロッパというものをつくりあげた。彼がなくなったあと、政治的な混乱がうまれて、ヨーロッパが三分割された。ベルダン条約(843年)によって。西フランク王国(フランス)、ロタール王国(イタリアとフランスの一部)、東フランク王国(ドイツ)。中世におけるヨーロッパの中枢。スペインは当時イスラム教に支配されていた。
 したがって授業はフランスイタリア、ドイツについてが中心になっている。カール大帝のカロリング帝国の領域の中の文化的な一体性をもたらしたものは(ヨーロッパの精神は)、イスラム帝国がアフリカとかにあって、ビザンツ帝国があって、そこへの対抗心。トルコの問題はビザンツにイスラムが来たのがトルコだから。そことヨーロッパが時代によってどれもあるのがトルコ。地理的な広がりはゲルマン人が支配的に住んでいる文化圏、カトリックによって支えられている文化圏がヨーロッパ。キリスト教、ローマ帝国、ゲルマン人が大事。ゲルマン人がヨーロッパの基盤になっていると考えたときに、ゲルマン人はどういう人たちだったのか考えないと欧法制史を考えることができない。教科書でいうと第三章から始まる。どういう人たちだったのか詳しく見ていく。
ヨーロッパの文化というのはまず前述のローマ(先行する文明としてのギリシャローマ世界)からなっている。ゲルマン人たちは憧れがある。自分たちはローマの中に生きているという自覚がある。ゲルマンの人たちはゲルマンであるにもかかわらずローマ世界に生きていると考えている。二つ目がキリスト教。特にカトリック。三つめがゲルマン人固有の文化。
三つが中世という時代に融合してできたものがヨーロッパと考えている。キリスト教と古代文化は遺産として残されたもの。そこにゲルマンの人たちが固有のものを追加して作っている。近代のローマ法学者イェーリング(『権利の為の闘争』)は「ローマは武力的に世界を支配して、そのあと宗教によって、最後に法によって世界を支配した」と言っている。そのくらいローマ帝国というのはヨーロッパに重要な遺産を残してる。
 ゲルマン人というのは誤解のある言葉。ゲルマン民族というのはないというのが現在の通説。ゲルマン民族という人種はいない。ゲルマンっていうのは何か?今ではゲルマン人というようにしている。ゲルマン人というのは何かというと、文化的な共同体を構成しているひとたち。ゲルマン人という何らかのぼんやりした共通性を認識している集団。インドヨーロッパ語族。その中でもゲルマン語を話している人たちがゲルマン人だとされている。西ゲルマン語族、東ゲルマン語族、北ゲルマン語族。東はもう絶滅している。英語やドイツ語のもと。北ゲルマン語族は北欧の。東ゲルマン語族はいなくなってしまった。話者として話している人はもういない。その三つの言葉を話していて同じ文化を共有しているのがゲルマン人。多少なりとも外見の共通点はある。タキトゥスという人が『ゲルマーニャ』という本を出している。古代ローマ人がゲルマン人を観て書いた本。ブルーの目をしていて黄赤色の頭をしていて非常に背が高く、頑丈な身体をしていて、身体能力が高いとしている。タキトゥスが観察したとこによるとそんな感じ。私たちがイメージする北欧の人たちの特徴を持っている。
 ゲルマンの人たちはバルト海からきて、牧畜を主として、従として農業もしていた人たち。開墾技術が未発達。広大な農地が必要。粗放的な農業(⇔集約的農業)。どういう差があるかっていうと単位面積当たりの収穫量が少ないということ。集約的農業って言うのは作付面積の中で収穫量を非常に多くすること。ゲルマンの人たちは粗放的農業だから、必要な量を賄うには莫大な農地が必要。かつ牧畜をしているから牧草を食べつくしたら移動する生活。粗放的農業の場合は肥料をやったり土地の改良をしないからつくればつくるほど土地が痩せていく。集約的農業では土地を休ませたりする。
 ゲルマン人はどういう社会を生きていたか。部族社会。作戦行動の主体となるユニットを部族、部隊という。略奪経済をとっていた。それは自分では財を生産しない。生産性の非常に低い社会。外部から略奪してきて生産性を補い、戦利品を分配して経済を賄う。平和な時は農業をしているが攻めるときは戦士として召集されて部族になる。そこに部族の長として王。身分差が希薄で自由な社会。族長が軍隊を招集するとそれに応じて、解散されると、自分のところに戻っていく。
 社会にとって重要な事項(戦争や裁判)。は共同体の会議である「民会」によってきめられている。それがもともとの社会。緩やかな結合をもっている。
3、4世紀になって略奪経済が組織化された軍事社会になっていく。軍隊が社会の基盤になっていくと、主力を担う人、騎兵(戦死貴族)がでてくる。馬はお金がかかる。それだけの資力がある人が一定出てくると戦士貴族によって命令系統がしっかりしてくる。社会が軍事化、組織化されて上下関係ができてくる。軍隊が強くなってくる。縦社会になっていく。身分差ができてくる。集団、軍団ができてくる(エトノス生成)。エトノス(民族)を生成して部族になっていく。タキトゥスの『ゲルマーニャ』ではエトノス生成されたゲルマンの社会がえがかれている。首長、部族長、王という有力者。若者による従士という一群が共同生活を送り略奪遠征を送り、分配し、そこで社会的身分を得る。首長は常に戦利品をもたらし、贈り物を受け取る。支配と従属の関係がなりたっている。ちょっとしたやくざのようなもの。遠征を繰り返すことによって固定化される。自発的支配従属関係が生じエトノス生成が起きる。権力が発生する。自由な社会から、3,4Cで身分関係が発達する。
ゲルマン人には小さい存在がたくさん存在している。エトノス間の抗争が繰り返されるようになってくる。より強い部族が小さい部族を吸収する。自分たちが一体であることを強固にするために擬制的血縁関係が使用された。部族が大きくなって吸収していくごとに自分たちが血縁関係があるかのようにして力を強めていく。これによっていわゆる部族(ラテン語でtribus)が生まれてくる。部族=擬制的血縁関係で結ばれた集団。エトノス生成の時期3,4Cに活躍したのが東西ゲルマン語族。メンバーは固定されていない。部族集団の構成員は極めて流動的。より強い部族に自分の身を売る。離合集散を繰り返す。より大きい単位としての民族といっているような、集団が形成されていく。生物的な血縁関係はなく、擬制的血縁関係。そういった政治的利益集団を民族という。フランク族、東西ゴート族など。そういう部族のメンバーは自分のメンバーが弱いなと思えば他の部族にくっつく。そういった人たちがゲルマン人と言われる。かつて考えられていたような生物学的な民族ではない。
 文化はどうなっていたのか。ゲルマンの人たちというのは無文字社会だったので、記録がない。どういうメンタリティーを持っていたかというのはよくわかっていない。ルーン文字も簡単だし後で作られたものなのであまり参考にならない。どうしたらどういうメンタリティーだとわかるか。ゲルマン人の宗教によって探る。神話による。神話も実は残ってない。口伝えで伝えられてきたものだから完全な形で残ってはいない。中世の時代に打ち捨てられてしまっている。スカンジナビアの人たち(北ゲルマン語族)はキリスト教化が、弱くて追いやられて遅れていたので、神話が中世まで残っている。北方ゲルマン人と言われるアイスランドの人たちは中世に文字で叙事詩(サガ文学)として残してくれている。エッダと呼ばれる文学作品のなかに叙事詩がある。
 自然の中に神がいるとした。森を神にささげる多神教。ヨーロッパは中世まで森に覆われていた。森は神聖で神の領域。ヨーロッパは同じベースがギリシャ神話。巨人族が支配している。最初に作られたのが巨人族で、後から生まれた人間がそれを追い払った。オリエント神話。人間と財産を共有するパートナーとして、近い存在として神がいる。ゲルマン人の世界の捉え方。戦士社会。良く表しているのが世界の終末に関する神話(ラグナロク)神は死ぬし、世界も必ず終わると考えられていた。一回追い払った巨人族が返ってくる。そこで大きい役割を果たすのがフェンリル。鎖につながれたオオカミのかたち。人間の世界はミッドガルドって呼ばれていて、蛇が周りを取り囲んでいて、暴れると世界が終わる。一番偉い神様はオーディンで、これはフェンリルにまけるとされていて、フェンリルはオーディンの息子に負けるとされていた。巨人のスルトが最終的に世界が滅ぼされるとされている。世界樹というユグドラシルがスルトによって燃やされてしまって世界が滅びる。オーディンは常に英雄とする人を募集しているとされていて、英雄が神の世界に行くには戦争で死ぬことが必要。魂を呼ぶために戦死させる。ヴァルキュリアが呼び寄せる、リクルートしてヴァルハラという宮殿にいれられて常に戦わせられる。夜になると宴会が開かれるが英雄はラグナロクに備えて常に戦わせられている。こういう神話、戦いのモノが多い。戦士社会。独立した自由人としての社会も反映している。それはどういうところに反映されているかというと、神であっても合意なしに命令されることはないとされている。ヴァルハラ宮に呼ばれたとしても戦うかは合意が必要。自由人の社会というのが民会というのにも影響を与えている。
 民会というのは部族全体に関わることについて決議をとるという構成をとっている。戦争、部族の構成員の名誉を守る。名誉心が強く、名誉心が傷つけられることは死を意味する。それに関する裁判はみんなで行う。全会一致でなければいけない。全自由人は拒否権を持っている。いまは会議で拍手をする。それはゲルマンの人たちが民会をするときは完全武装をしていく、一番のオシャレだから、彼らは槍と盾を必ず持っていて賛成の時は槍と盾を叩き合わせて、反対の声をかき消すため。全会一致だとする。自力救済も一般的であった。所有権の侵害は戦士としての能力が欠如しているということで名誉にかかわるから、自分でその場で取り返したり、相手を傷つけ返したり、仲間が死んだら殺したりすることが黙認されている。そういう社会。Fehde(フェーデ、血讐)が有名。共同体の仲間が殺されたときに相手を殺してもいい。集落全体がまるまる死に絶えることもあった。自由でありながらも戦士である。死と隣り合わせ。運命というのをどう受け入れるか。ゲルマン人の宗教観に現れている。戦士社会での実力が重視されている。ゲルマン人の侵攻(西ローマ帝国に対して)、395年、西ゴート族がイタリアに攻めてきた。人口が増加して定住地が必要になる。略奪経済が発展するとローマ帝国に入っていこうって言うのもある。民族大移動と言われているのはあるんだけど、ゲルマン人は以前からローマ社会と交流があった。そもそもゲルマン人は平和的にローマのなかに移住していた。傭兵、ローマ帝国の防衛を担う者として。西ローマ帝国末期の兵士の主力はゲルマン人。ローマ帝国の蛮族化。ローマ人が減っていって足りないところをゲルマン人が補っていった。ゲルマン人と戦わせるにはゲルマン人をぶつけた方が効率的だから。正規軍よりもゲルマン人の方が多くなっていく。最終的にはゲルマン人が強くなって。皇帝と同格の扱いを受けるひとがゲルマン人に。属州ガリアの総督の位置(?)はゲルマン人の王の世襲になっていった。ローマ王国の弱体化とともに出てくるのがゲルマン人。ゲルマン部族王国。それがどう発展していったのかはまた次回。

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