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夏の日2016

国民的アイドルが解散すると宣言したその日、祖父は死んだ。自殺だった。

国民的アイドルの解散は、夜中に報道された。私は、深夜に速報で知り、友人にそのニュースをメールで知らせるとまだ把握していないようでビックリしていた。明日、このニュースを誰に話そうか、一番面白く報道するニュースは一体何だろうと楽しみにしながら眠りについたのだった。

朝起きると予想通り、Facebookもtwitterも解散の話題ばかりだった。寝ぼけ眼で、ニュースをチェックした。父は早朝にどこかへ出て行ったようだった。解散は、メンバーの仲違いがきっかけであるということがわかった頃に、母が慌ただしくやってきた。

「おじいちゃんが亡くなったって。」

「え?」

言葉は聞こえたはずなのに、頭の理解が追いつかない。嘘でしょ?という簡単な言葉でさえ、口にできなかった。

頭の整理をしながら私が布団から出ると、母はいそいそとバッグの中に何日間分かの荷物や喪服を詰め始めていたところだった。

「今からお母さんは、おじいちゃんの家に行くから。まだあなたは来なくてもいいよ。一旦家で待ってて。」

「だって、あんなに元気だったのに?何も病気もなかったのに。本当にそうなの?」

感情と現実の折り合いがなかなかつかない。祖父の家まではここから電車で2時間程かかる。

「ええ、病気は何もなかった。だけど、亡くなったの。」

嘘でしょ、も、そんなわけない、も、涙、も顔の皮膚の下に隠れて出て来ないで、感情は私の眉間にしわを寄せるだけだった。

その言葉の後、家には誰かがいるわけではないのに、母は声をひそめた。

「自殺だったみたいで、お父さん相当ショックを受けてるから。あんまり死因については、聞かないであげて。」

それだけ言うと、母は荷物を持ってバタバタと出て行った。

残された私は、悪い夢の中にいるような気持ちだった。

その2日後私は、祖父が眠る家に向かった。最近はお葬式も増えているようで、なかなか式場の予約が取れず、まだ葬儀は終えていなかった。祖母も父も、父の妹も悲しい表情をしながら出迎えてくれた。事態を本当の意味で理解できたのは、棺桶に眠る祖父を見た時だった。

眠る祖父の前で私は、「どうして、」と思わずにはいられなかった。

最後に交わした言葉はなんだっただろう。私は祖父に何か大事なことを伝えそびれた気がする。

人との別れが悲しいのは、もっと交わされるべき言葉があったはずなのに、それらをもう交わすことができなくなってしまうからだろう。きっとあと数年したら、結婚の報告ができただろう。もう数年後にはもしかしたらひ孫が生まれたかもしれない。そんな中にあるはずだった祖父と私の言葉は、もうわからない。

涙は、祖父の眠る姿を前にして、ようやく出てきた。


祖父の顔を見おわり居間に移動してお昼ご飯を食べた。ご飯なんて作る暇もないくらい式の準備が大変で、みんなで出前をとって食べた。そんな中でぽつりと私に祖母がこんなことを話した。

「急なことでびっくりしたでしょう。」

「うん。」

私の家族と祖母と親戚、合わせて7人ほどその場にいるはずなのに、祖父がいないだけでこんなにガランとしてしまうのか。庭には、祖父が手間隙かけて育てたゴーヤがたくさんなっている。全てが終わったら、収穫して私の家に持って帰るはずだ。先ほどの泣き顔が嘘のように、祖母が明るく振舞うことに驚いてしまう。

「おじいちゃんねえ、耳が聞こえなくて寂しかったんだよ、きっと。」

座っているはずなのに足元がグラッとした。私は、ずっと耳が聞こえにくくなったと祖父が言っていたのを知っていたのに、と思わずにはいられなかった。どうして私は何もしなかっただんだろう。いつものように明るく、快活に「耳が聞こえない」と笑いながら言う祖父の言葉をきちんと聞いて、どう対処すべきか真剣に考えたことはあっただろうか。

何かが不意に終わる時、そのきっかけは誰かにとってはごくごく小さなことなのかもしれない。

だけどその小さなことが、致命傷となることの方がほとんどなのかもしれない。

どうしてもっと。

いつも明るく健康な祖父の耳が聞こえなくなったこと。

いつも周りを笑顔にしつづけてきた国民的アイドルの解散も、きっかけは非常に小さな小さな仲違いだったのかもしれない。

終わりの始まりは、いつだってほんの小さなことなのかもしれない。

自分の目の前からいなくなってからじゃもう遅い。小さな言葉一つにきちんと向き合っていたなら、という後悔なんて一体何の足しになるだろう。終わりは終わりなのだ。戻ってこない。

何もかもいつか終わる。永遠なんてどこにもないのに、私たちはそのことについて忘れてしまう。 そして終わりが訪れた時、やっとそのことを、思い出す。

どれだけ思いを尽くしたところで終わりの時に後悔をゼロにすることは不可能だろう。だけど、終わりが訪れることに恐怖を感じる誰かとの関係の一つ一つ丁寧に続けたら、違う終わり方が訪れるかもしれない。

強く見えるあの人も、上手くいっているように見える関係も、苦悩がある。ついつい強いから、うまくいっているから、見逃してしまう。強い人こそ、思いやらねばならない。自分のためにも、相手のためにも。

きっと夏の日、私は一生思い出すだろう。祖父が耳が聞こえにくくなっていたことを。そしてそのことで私は改めて、自分の周りの大切なものを気遣う気持ちも思い出すだろう。

伝えるべきことはなに一つつたえられていなかったように思うが、今からでも遅くない。きっと届くだろう。

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