夜を超える

又吉直樹に「夜を超える」という作品がある。
又吉直樹と文学との関わり合いを通して、近現代の文学について解説するという作品。

最後まで読むとこの夜を超えるという言葉の重さがわかるようにできている。

あまり好きな作品ではなかったが最後の夜を超える、という表現がとても腑に落ちて、何度か読み返している。

人生に何度か越えられないかもしれない、と思う夜がある。

越えられないかもしれないと思うのは、一夜だけでなく、その一定期間夜を越えられない、と思うものだ。

そういう時、夜を超えるという言葉を思い出す。

今日の夜を越えれば朝が来る。とりあえず一日生き延びたことになる。

そしてまた夜が来る。越えなければいけない夜。

誰かのために生きているのではない、自分のための人生だから。自分で越えなければならない夜。

だけどたまに本当に孤独になった時、私はこの夜を越えられるだろうか、と考える。

誰かとの繋がりが朝へと後押しする

本当の強さは一人でも夜を越えられることなのではないかと思う。

ねえ、どうしたら一人でも夜を越えられるか知りたい。

今の私にできることは夜と朝をひたすら繋げて、人生を作ること。

だけどその先に本当に意味のあることなどあるのだろうか。

夜を越えた先にいつか越えなくてはならない夜が無くなる時は来るのだろうか。

そんなことを考えてまた絶望するのだ。

越えなきゃいけない夜の先にはまた辛くて苦しい越えなくてはいけない夜。

そんな人生が繰り返されるのだとしたら、彼やあの子が息絶えてしまった夜を理解できる。

一方で夜を越え続けたものだけで構成されるこの世界の美しさも感じる。

私は一体どっちの世界で生きていくのか。

いつか越えられない夜がくるのか。

その日が今日なのか。

とにかく朝はくる。

眠って眠って朝を迎える。どれだけ辛くてもあさはくる。その現実が希望か絶望か、結局夜を越え続けなければわからない。

きっと希望が続くと信じて私は眠る。

夜を超えるために、おやすみなさい。

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