反省ドラマ=「地味にスゴイ」
宮木あや子さん原作『校閲ガール』をドラマ化した「地味にスゴイ」のTV放送がつい先日終了した。
そもそも「地味」な職業の「地味」な話だから、ドラマ化して絵で見せるには難しい題材だったからかどうなのか、真相は分からないが、原作はシリーズが3冊もあるというのに、TVの方は実に短期間で終わってしまった。ちょっと残念な気もするけれど、まぁ、無理もないかもしれない。
出版業界でもそれなりに話題になっていて、周囲でも見ていた人はたくさんいた。けれど、ポジティブな感想は「地味な仕事にようやく光を当てられた」「他人に自分の仕事を説明する時、『ドラマのあれ』と言えばいいので楽になった」というものくらいで、残りは圧倒的にネガティブなものだったように思う。曰く、「校閲のファクト・チェック(事実確認)で現地に行くなんてあり得ない」「小説に出て来る家の模型を作るなんてあり得ない」「ほとんど何も仕事をしてないような校正者がフラフラしている贅沢な出版社なんて今時あり得ない」…などなど。「あり得ない」という感想が連発されていた。
確かに「業界あるある」のドラマではなく、「あり得ない」ことも多かったように思えるけど、まぁ、それはエンタメなわけだし、脚色されてても仕方ないんじゃないかと思う。
そんな中、たった一つだけ、全員が認めるだろう「業界あるある」も入っていた。それが「誤植」だ。自分にとっては、唯一(でもないが)この「あるある」だけをとっても、このドラマを見る価値があったと思う。
1、河野悦子が校閲を担当した本の表紙に「誤植」があった事件。
2、憬れの雑誌「Lassy」の校閲時に、得意分野故に記憶に頼って校閲したため、ブランド名の表記が変わったことを知らずに見落とした事件。
この2つは本当に手痛い「あるある」だと思う。目を皿のようにして何度も見る、一字ずつ指さし確認しながら読む、音読する…などの工夫をしても、なぜか、なぜか、あんなに、あれほどに必死に確認したはずの活字の中に誤植が生じてしまうのが現実だ。校正している時には絶対に見つからないくせに、本が出来上がった時、パラパラッとめくった瞬間に誤植が「浮き出して」見えるかのように一瞬でその文字が見つかる…という痛い経験を思い出し、世の中の大半が「楽しく」ドラマを見ているであろう時間に、一人反省し、一人撃沈し、欝々としている自分がいた。
人間だからミスはある。でも、医者がそれでは許されないように、編集・校正者もそれでは許されない。医者のように、そのミスで命に別状があることはない!と思ってみたところで、「確かな証拠」としてそのミスは残り、忸怩たる思いのところを(当然ではあるが)周囲からお叱りを受け、下手すれば刷り直しを余儀なくされ、賠償問題まで発生することになる。傷跡に塩を擦りこむかのような一連の事象に、延々と「嗚呼、やってしまった…」「あれほど見たのになぜ…!?」という思いが付きまとうことになる。
毎回、深い自戒の念を込めてドラマを見た。自分にとっては「地味にスゴイ」などというエンタメではなく「業界あるある」を描いた「反省ドラマ」というタイトルのノンフィクションでしかなかった。
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