歴史フィクション・幕末Peacemaker 【07】~生麦事件(02)=遭遇=~(2099文字)

薩摩藩は抜け目がない。
自らの手で薩摩藩藩邸(上屋敷)に火を放ち、参勤交代を延期させ、その上二万両もの藩邸造営費の給付を受けた。
が、それだけに留まることは無かった。

藩邸造営費給付の御礼と薩摩藩邸造営の監督を行うためにー。
薩摩藩は、藩主の後見人である、島津久光しまづ ひさみつの江戸出府の許可を願ったのだ。
 
当然ながら幕府は許可を出す。
こうして、島津久光しまづ ひさみつは江戸出府の大義名分を得た。

しかし、島津久光しまづ ひさみつの最終目的は幕政参画である。
ゆくゆくは自らが幕政に参画するという道筋を描いていた。
次に薩摩藩が仕掛けたのは、朝廷工作であった。

朝廷に働きかけ、一橋慶喜と松平春嶽の謹慎解除と要職登用の命を伝える勅使を、島津久光しまづ ひさみつが奉じる形で江戸に参府する。

島津久光しまづ ひさみつが描く目論見に疑問を呈したのが、奄美大島から薩摩藩に呼び戻された西郷隆盛であった。

行き当たりばったりがすぎる。
西郷隆盛の目からみれば、不十分な計画に見えたのだろう。
島津久光しまづ ひさみつと面談した西郷隆盛は、国父である久光に対して、地ゴロ(田舎者)と言ってしまう。
明らかに失言であった。これが久光の西郷に対する、わだかまりの始まりとなる。

しかし、3年間も奄美大島に流されて、情勢に疎かったからか、それとも島津久光しまづ ひさみつを過小評価したのか、現実は西郷隆盛の判断に反して動く。

寺田屋事件で薩摩藩の藩士を討ち取り、京の治安維持に努めた島津久光しまづ ひさみつは、孝明天皇の信任を得る。

朝廷は島津久光しまづ ひさみつの意をくみ、勅使大原重徳おおはらしげとみを、1862年6月19日(文久2年5月22日)江戸に向かわせる。

薩摩藩藩士に護衛され、勅使は1862年7月3日(文久2年6月7日)に江戸へと入る。

背後で島津久光しまづ ひさみつが糸を引いていることは明らかであった。

外様の、しかも藩主ですらない者が、朝廷の権威を笠に着て、幕府の人事に口出しをしてきたのだ。快く思う幕閣などいるはずがない。

だが結局、1862年8月1日(文久2年7月6日)に一橋慶喜は将軍後見職へ、1862年8月4日(文久2年7月9日)には松平春嶽が大老職に相当する政事総裁職につくことで決着する。(春嶽の登用は既に決定済みであった)

1862年9月2日(文久2年8月19日)、島津久光しまづ ひさみつは、一橋慶喜、松平春嶽と会談し、参勤交代緩和などの幕政改革案を申し入れた。
慶喜と春嶽、この両者を介して、幕政参画を実現させるという久光の目的は達せられたといってもいい。

1862年9月14日(文久2年8月21日)。生麦事件が起きたその日。
東海道を京へ戻る久光がどのような心持ちでいたかはわからない。
目的を達成した満足感があったのだろうか。

久光の行列と最初に遭遇した異国人は、ヴァン・リードなるアメリカ人であった。遭遇した場所は当時、鶴見村と呼ばれていた所である。

岩波 世界人名大辞典によると、ヴァン・リードは『アメリカの冒険的商人』として以下のように紹介されている。

アメリカでジョゼフ・ヒコ(浜田彦蔵)と知り合い,前後して来日し [1859:安政6] ,神奈川駐在アメリカ領事館書記生ののち横浜の米国系商会で働き,一旦帰国 [65]

岩波 世界人名大辞典

吉村昭氏の随筆では、生麦事件当時、アメリカ領事館の書記生であったと書かれている。

ジョゼフ・ヒコと知り合っていることから日本の文化について知識があったのだろう。
吉村昭氏の随筆には『彦蔵から日本語を学び、日本事情について話をきくことにつとめた。これによって、ヴァン・リードは日本語に精通し、大名行列とはいかなるものかという知識をも得ていた』と記述されている。
 
ヴァン・リードは、久光の行列と遭遇したが、下馬して、帽子を取ってそれを胸に当て、片膝をつき、行列の先頭の『先払い』が近づくと頭を下げたという。

行列の人数は吉村昭氏の随筆によると『行列は4百人ほどの従士で組まれ』と書かれている。
ヴァン・リードは、どのくらいの時間この姿勢を取り続けていたのだろうか。

久光の行列を無事やり過ごしたヴァン・リードは立ち上がり、帽子をかぶると、騎乗しその場を去った。

東海道を乗馬し進むリチャードソンら4人は、生麦村へと入った。
久光の行列と遭遇するのは午後2時過ぎのことだった。

「ダイミョウギョウレツ」
誰かが言った。4人は馬を道の左側に寄せた。
先頭をリチャードソンとマーガレット、その後方をマーシャルとクラークが続いた。
誰もヴァン・リードのように下馬して行列をやり過ごすという発想はしなかった。

行列はいくつかのグループの塊になっていた。

いくつかのグループを無事にやり過ごしたあと、リチャードソンら4名は、久光が乗る駕籠のある行列の本体と遭遇する。
 
【続く】


■参考文献

『島津久光=幕末政治の焦点』
町田明広(著)

『島津久光の明治維新』
安藤雄一郎(著)

『「幕末」に殺された男』
宮澤真一(著)

『生麦事件』・『史実を歩く』
吉村昭(著)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?