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【歴史のすみっこ話】漢字、危機一髪7~報告書文章改ざん依頼~[1515文字]

1948年(昭和23年)8月に実施された「日本人の読み書き能力調査」ではどのような問題が出されたのでしょうか。

その一端は、『戦後日本漢字史』(著:阿辻哲司)から、うかがい知ることができます。

問題はいくつかのタイプにわかれていて、うちの一つに、選択肢の中からふさわしい漢字を選べという趣旨の問題がある。
(中略)
病気のときは「健康 死亡 医師 危険」にみてもらう。
きょうは砂糖の「配給 産業 食料 数量」があります。
あの人の「態度 国民 各派 必要」は立派だ。
統制を「上程 該当 機関 緩和」する。
といった問題が十六問出題されている。
 
また漢字で書かれたことばの意味について正しいものを選ばせる設問があり、たとえば「」について、「ひと おとうさん 子 兄 おかあさん」の中から正解を選ばせる(選択肢の中の漢字にはルビがついている)。
(中略)
「交渉する」について「けんかする 話しあう 訪問する 汽車にのる はじめる」などがある。もっとも難しいと思われるのは、「利潤」について「ききめ 商売 もうけ うるおい 便利」とあるものだろう。
 
もちろん漢字の書き取り問題もあって、実際の出題は、
 
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お(てがみ)いただきました。
みなさん(げんき)ですか。
さっそく(へんじ)をしましょう。
(ごうけい)すると千円になります。
お(ねが)い致します
かぜをひいて(けっせき)した。
右のように(せいきゅう)致します。
(せんせい)お体を大切に。
この子は(しょうわ)生まれです。
のちほど(つうち)します。
あつく(おんれい)申し上げます
私には(いもうと)があります。
(ほしょうにん)になって下さい。
役場へ(とどけ)を出す。
ともかく(りれきしょ)をお出しなさい。
 
というものであった。

『戦後日本漢字史』(著:阿辻哲司)より引用

この調査の結果、満点をとったものは全体の4.4%。
不注意による誤りを考慮して満点をとれたと思われるものを加えれば、全体の6.2%が満点をとったものと思われます。
 
一方、ゼロ点(白紙の者、回答がひとつも正解しなかった者)は1.7%。
「かな」は書けるが漢字は全く書くことができない者は全国民の約2.1%
と推定されました。

この結果と分析内容は報告書にまとめられ、提案者であったCIEの、世論社会調査課長ジョン・キャンベル・ペルゼルへと伝えられました。

具体的にいつと、日にちを特定できませんが、この「日本人の読み書き能力調査」の出題を担当した東京大学助手の柴田武氏は、ジョン・キャンベル・ペルゼルから呼び出しを受けます。

柴田氏は以下のように語っています。

私が昭和二十四年三月に国研に移ってからか、日にちは全然記憶がありませんけれども、ペルゼルが第一ホテルへ来てくれと言う。彼は第一ホテルに泊まっていました。
(略)
第一ホテルの個室は狭いんですね。やっと体は通れるぐらいの、空いた空間がある。そこのベッドに腰を掛けて、並んで話をした。
ペルゼルいわく「この報告書を書き直してくれ。」というわけです。

『戦後日本漢字史』(著:阿辻哲司)より引用

要するに、調査の結果が良すぎたのでした。
阿辻哲司によれば、漢字の読み書きができない人の割合が全国民の2.1%という推定値は、世界中でも低い数字なのだそうです。

これでは漢字を廃止してローマ字表記を推進することはできない、そう考えたペルゼルは、報告書の文章の改ざんを、依頼したのでした。
(数値を改ざんするのではなく、分析結果の文章表現の改ざん依頼──日本人は漢字が『うんとできない』と表現するようにという──だったようです)

にわかに信じがたいことですが、当事者の柴田武氏がそのように語っています。
尚、ペルゼルから報告書の文書改ざんを依頼された柴田武氏は、ローマ字論者でもありました。

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