[いだてん噺]二十三日間04(1821文字)

  スウェーデンのエテボリーに着いて5日目、8月8日ー。
 この日は、午後1時までの練習を許可されたため、絹枝は午前11時から練習に出かけている。

 800mの軽いウォーミング・アップを試み、ちょっと苦しいなという感想がしたという。
 そしてスタートの練習に入った。

 スタート七回、もう今日は黒田マネージャーのスタートで十分やってみた。
 スタート後十メートル辺りまでの体の傾け方について研究したが、思うようにならない。やればやる程、何でも悪いところが分かってくる。
 気のつき次第に直そうとするが、いちいちこんなふうにしていたらば、二週間後の大会に立派なフォームに出場出来るかと、心配で仕方がない。
 
 走幅跳八回。助走は割合にスピードがつき出した。しかし、今日は更に踏切に力が入らない。今一段と力が入ってくれば、上にもあがるし遠く跳べるのだが、まだ自分には五分の力も入っていないような気がする。

 午前中の練習は気持ちよく出来ない。どうしても午後にならぬと調子が乗って来ない。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著

 この日は日曜日であったからか、いつも通る森林公園は人でいっぱいになっていたと絹枝は記している。

 その公園に集まった人たちの様子は実にのんびりとしている。
 日本の人たちに比べて、ほんとにいいことだと思った。
 年がら年中、休みなく暗い部屋の中で、苦しい労働を続けている日本人と違って、日曜には工場、役所等はもちろん、商店まで全部固く戸を閉じて、人々は大きなバスケットに食料をどっさり詰めて、一家こぞって公園なり郊外へ遊びに出る。
 日本人が一般に体が悪く欧州の人たちより早死するのは、こうした事も大変原因しているにちがいないと思った。
 日本でも大都市の中央にこうしたプレーグラウンドを作る必要があると思う。

 当時、日本では日曜に家族そろって公園や郊外に遊びにでるという、健康的な余暇の過ごし方があまりされていなかったようである。

スウェーデンのエテボリーに着いて6日目、8月9日ー。

 目を醒ますともう九時を過ぎている。大阪の方にニ、三通の通信す。
 新聞の切り抜きしたり、申し込み種目を考えてしている間にもう十一時になってしまった。今日はゆっくりすべての練習をしようと思って、十一時半に自動車で運動場に行く。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著

50メートル走の記録がよかったので、『うれしくて仕方ない』と記している。

 走幅跳びの代わりに立幅跳びを行なった。ニメートル五〇が出る。今の世界記録は一九二二年に米国のサピー嬢の作ったニメートル五五なのだが。これなら楽に破って見せる。踏切りの要領さえわかればしめたものだ。
 
 円盤は今日は二十九メートルまで出せるようになった。しかし三十メートル台にするにはなかなか骨がおれるだろう。まだまだターンの要領がわからない。一刻も早くヒントを得られるように祈る。
 
 三時間にわたる練習を終わって汗ばんだ身体をバスで綺麗に流し、すぐ前の野菜食堂に入って冷たいミルクとパンで空腹を満たす。
 
 帰って来てすぐマッサージを五十分ばかりしてもらう。マッサージが体によく合って、ほんとに練習も気楽に出来る。
 マッサージの終わった後、二時間ばかり午睡をする。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著

 絹枝が午後の睡眠をとっている間、マネージャーの黒田乙吉は、大会委員長のドクトル・リリエの元に赴いて、大会の出場申し込みを行い、各国の出場選手の近況などを聞いてきていた。

 大会の競技プログラムはおおよそこのようなものだと、ホテルに帰ってきた黒田乙吉は絹枝に報告するのだった。

(※都市名は、人見絹枝自伝に記されているエテボリーに統一)
(敬称略)


■参考・引用資料
●『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著、 織田 幹雄 ・戸田 純:編集
●『二階堂を巣立った娘たち』 勝場勝子・村山茂代:著
●『はやての女性ランナー: 人見絹枝讃歌』  三澤光男:著
●『短歌からみた人見絹枝の人生』 三澤光男:著
●『KINUEは走る』 著:小原 敏彦
●『1936年ベルリン至急電』   鈴木明:著
●『オリンピック全大会』   武田薫:著
●『陸上競技百年』      織田幹雄:著
● 国際女子スポーツ連盟 - Wikipedia アリス・ミリア - Wikipedia

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