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[ミステリ感想]『QED 六歌仙の暗号』(著:高田 崇史)

QED 六歌仙の暗号』は1999年に発表されたもので、高田 崇史氏の歴史ミステリ『QEDシリーズ』の第二作目になります。

第一作目が百人一首に秘められた謎をメインにすえた『百人一首の呪』で、第二作目は、本作『六歌仙の暗号』です。
高田 崇史氏は和歌や平安時代が好きなのかなと、読了した当時思った記憶があります。(今回は再読というよりも、感想を書くためにポイントだけの流し読みをしました^^)

デビュー作の『百人一首の呪』に比べると、作中で起きる殺人事件と、歴史の謎となる『六歌仙の暗号』が密接にからみあっており、しかも謎解きの複雑さはかなり軽減され(相変わらず専門知識は必要ですし、現実の事件の謎解きはミステリとして弱いですが)、平安時代や和歌、怨霊信仰などに興味がある方は、歴史の解釈を題材としたエンタメ小説として楽しめる(ツッコめる?)のではないかと思います。

■本編ストーリーに関係ない蘊蓄

第1作同様、薬剤師のふたり、桑原 崇(通称、タタルさん)棚旗 奈々のコンビが事件の解明に取り組みますが、直接ストーリーに関係ないところで挟まれる桑原 崇の容赦ないウンチクもこのシリーズの魅力のひとつとなっています。
例えば、事件解明の舞台となる京都にある清水寺についてー。

「京都にやって来て、いきなり清水の舞台とはね。君もなかなか、いい度胸をしているな」
「?」
「君たちは、清水の舞台は本来どう利用されていたのか知っているか?」
「展望台じゃないんですか?」
(略)
「何で寺に遠望台が必要なんだ?(略)昔は、あの舞台に重要な役割があった」
「どういうことですか?」
「昔ー平安時代には、庶民のための墓はなかった。だから死人がでると、その親しい人は死体を担いで清水の舞台に上がって、あそこからポンと投げ捨てていたんだ」
「まさか!」奈々は苦笑いした。「嘘でしょう」
「嘘なものか。その証拠には、清水の舞台の下にある坂をずっと下がって行った所は、鳥辺野という葬送の地だ。そこには遠く平安時代から、何千という数の死体が埋められているんだー。その舞台から投げ捨てられることによって、死者の魂は浄土に旅立つんだ。そして今日、君たちはその歴史的な現場にいきなり足を運んだ、というわけだ」

『六歌仙の暗号』より

うら若き女性相手に、タタルさん、容赦ないですねー😓。
そしてさらに、奈良の長谷寺と鎌倉の長谷寺も、清水寺と同じ造りで、本来の目的や利用方法は同じだろう、『はせ(初瀬)』という言葉には「死者の魂が宿る所」と言う意味があるから、と更に容赦ないウンチクを続けたあげく、『そんな話はともかく』と、自分で言っておきながら、話題を変えちゃいます。
本編のストーリーとは関係ないウンチクもまた本作の魅力のひとつといいましょうか😅。

■七福神の呪いから始まる物語

タイトルが『六歌仙の暗号』となっていますが、物語は「七福神」がらみで始まります。
民俗学研究のゼミに入り、卒論のテーマである「七福神に関する、日本的風土からの考察」のために「京都七福神巡り」に出かけた大学生が京都の鞍馬の山道で車ごと転落死します。しかも出発直前に『七福神は呪われている』という言葉を残して。
 
その大学生の妹は兄と同じ大学に入りますが、その大学で七福神巡りが趣味の教授が殺害され、そしてさらには、七福神巡りが趣味だった教授が六歌仙にも興味を示していたことを知った助手までもが、ダイイングメッセージに「七」と読めるような文字を残して殺害される事件が発生します。

「七福神の呪い」とマスコミに騒ぎ立てられた大学側は、「七福神に関する論文は一切禁止する」と学生に通達します。
しかし、鞍馬の山道で謎の事故死を遂げた兄の死の真相を求めて妹は卒論のテーマを「七福神」にし、親しかった大学の先輩、棚旗 奈々を通じて桑原 崇に協力を仰ぎます。
こうして、桑原 崇と棚旗 奈々のふたりは「七福神の謎」に関わることになります。

■七福神の謎

「七福神は、どうして七人だと思う?」
(略)
「おめでたい神様を並べたら、たまたま七人になったんでしょう」
「逆だねー。七人並べるために、いろいろな神を選んだんだ。神様の出入りがあった。というのが立派な証拠だろう。
(略)何故ならば、『七』という数字には、もっと凄い意味があるからだ」
「凄いー意味?『七』に、ですか?」
「そうだ。日本の始まりは、知っての通りに神代七代だ。寺に行けば七堂伽藍に七重の塔に七面大菩薩、身近なところで、初七日というのもある」

『六歌仙の暗号』より

ここで桑原 崇は歴史小説家の火坂雅志氏の説を持ち出します。

七がつく言葉はいずれも良いことに使われる、いわば「聖数」である。そのためであろう、「七」は怨霊を封じる呪術にも用いられるようになった。たとえば、日本各地の伝説にある「七つ墓」とか「七人塚」がそれである。そこに埋められているのはいずれも惨死・刑死・客死・自害など尋常でらざる死に方をした者たちである。その怨霊の跳梁を防ぐため七つの墓を築き、聖なる数字「七」によってこれを鎮めたのである』

『六歌仙の暗号』より

(ちなみに、横溝正史の「八墓村」は、当初タイトルを「七つ墓村」にしようか迷っていたという話があったと思います)
 
こうして物語の前半で七福神の正体が追求されます。

■六歌仙の謎

後半は、被害者のひとりが六歌仙巡りというメモを残していたことから、六歌仙を巡る謎へと話が展開します。
六歌仙は醍醐天皇の勅によって、紀貫之らが編纂した「古今和歌集」の中で名前を挙げられた六人の歌人からきています。
紀貫之が『近き世にその名聞こえたる人』として、在原業平、小野小町、僧正遍昭、文屋康秀、大伴黒主、喜撰法師らを挙げ、後世で六歌仙とよばれるようになりました。

桑原 崇紀貫之が選んだ「」に意味があると推理します。

「陰陽道で『六』は陰の数だ。『六』はそのまま『霊(ろく)』のことだ。そして、『六道』と言えば『髑髏(どくろ)』の音の転。また『六字になる」とは『南無阿弥陀仏』ーつまり死ぬことだ。
こんな不吉な数字を冠せられた六歌仙はー」

『六歌仙の暗号』より

■六歌仙の暗号和歌

「七福神の謎」と「六歌仙の謎」(そして「古今和歌集の暗号」も)が徐々に暴かれ、ついに、六歌仙の和歌に隠された暗号とそれを選んだ紀貫之の意図が解かれ、物語は作中の殺人事件も含めて、大団円を迎えます。

特に六歌仙のひとりの和歌の暗号の解釈はかなり奇想天外で、歴史ミステリのもう一人の書き手、鯨統一郎さんばりのアクロバティックさがありました😆。

平安時代の闇によって、平成で起きた事件の顛末は、すべての謎が明かされた後も、爽快感よりも無常感を感じるものでしたが、歴史ミステリの魅力のひとつである、従来と異なる見かたによる歴史の新解釈の提示、というエンタメならではの面白さを味わえる作品であることは間違いないと思います😊。

本当のところは、誰にも解らないのだろう。
全ては ー 闇の中である。

『六歌仙の暗号』より


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