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【ちょっと懐か史】~『銀河鉄道の夜』の誤読 1996年3月~

1996年は宮沢賢治の生誕百年の年だったそうです。

1996年3月21日の読売新聞文化欄に、詩人・明治大学教授(仏文学)の入沢康夫氏の宮沢賢治作『銀河鉄道の夜』に関するコラムが掲載されていました。

どうやら宮沢賢治の作品の中には、『もうずいぶん昔の読み解きで誤りのあることが判明しているテクストのまま、訂正されずに今もなお印刷され、売られているという現実が一部にある』のだそうです😮。

ここでは『銀河鉄道の夜』があげられています。

1970年代前半に行われた調査・検討で、『銀河鉄道の夜』には、初期形と最終形のふたつがあることが判明したそうです。

初期形:『銀河鉄道の夜』は大正末年頃、一つのまとまった形に達していた。

最終形:初期形に対して、宮沢賢治が晩年(昭和六年・七年頃)に、黒インクで手入れしたり、別紙を追加・挿入・差し替えをして、全体の構想を大きく変えた。

具体的に初期形最終形の違いはなにかというとー。

初期形はジョバンニの見る銀河旅行の夢は、ブルカニロ博士による一種の心理実験だった。

最終形はブルカニロ博士やそれにまつわる部分が削られて、ジョバンニ自らが見た夢になっている。

他にも冒頭に、3つの章が加えられたり、末尾部のエピソードが変えられているそうです。

そして問題としてあげているのが、1974年に「校本宮沢賢治全集」第九巻第十巻に公表されるまでの間、手入れ前(初期形)と手入れ後(最終形)の両方が、『不用意に混ぜ合った、誤った本文が読まれ続けていた』状態についてです。

作者没後になされた原稿解読と活字化の際の判断ミスの結果だったのである。黒インク手入れ前(初期形)と手入れ後の形(後期形=最終形)を、はっきり区別してみれば、それぞれは筋立ての明瞭な作品として成り立っていることが判る。両者を混合して作った本文は、賢治自身の考えていた『銀河鉄道の夜」ではない。

1996年3月21日読売新聞文化欄 入沢康夫(著)

1974年以前に読まれた宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、『原稿解読ミスと活字化の際の判断ミスの結果』、手入れ前と手入れ後のふたつのバージョンが混合して作られてしまった作品、ということらしいです。
それは宮沢賢治も不本意でしょうね。手入れ後の最終形を活字化できれば問題なかったのでしょうが、かなり複雑に手入れしたんでしょうね🤔。

しかし、1974年に、最終形の『銀河鉄道の夜』が公表された後は、『不用意に混ぜ合った、誤った本文が読まれ』るという問題が解決したかと言うと、そうではないようです。

なんでも1996年春の時点でも、1974年以前の間違った読み解きのものを、『銀河鉄道の夜』として出版しているものが、かなりの数あるそうです。

コラムの最後の方で、『この困った事態が一刻も早く改められてほしいと願う』と書かれていました。

うわー、そうんだったんですね。もし最終形じゃない『銀河鉄道の夜』を読まれいた方は、最終形で読み直してみるのもいいかも知れませんね。
1974年以前に読まれたのであれば、最終形でないと思います。

ちなみに、ボクは、『銀河鉄道の夜』を読んだことないですが😅


■引用資料
読売新聞1996年3月21日紙面

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