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[歴史のすみっこ話]富士山で相撲をとった小説家の話[855文字]
知ってるか?あんたが大人って呼んでるあいつらは、子供が二十年や三十年トシを食ってでかくなっただけのもんなんだぜ
一富士 二鷹 三茄子(いちふじ にたか さんなすび)。
ということで、富士山にまつわる、昔(といっても明治の終わり頃です)のお話です。
富士山の山頂で相撲をとった小説家をご存知でしょうか?。
今では忘れ去られた存在、岡山県出身の作家、江見 水蔭(えみ すいいん)がその人です。
江見 水蔭は、『金色夜叉』の作者・尾崎紅葉の門弟でしたが、冒険小説なども多く書いています。
その江見 水蔭、明治40年8月に、作家仲間たちと富士山登山を行いました。まだ富士山登山が一般に広がっていない時代です。
ところがどうしたわけか、江見 水蔭は富士山に登山して山頂で相撲を取るらしいという噂が流れました。
江見は大の相撲好きで自ら門弟や学生たちと[江見部屋]と称する相撲クラブを結成していたぐらいだったので、新聞記者たちが、あの江見なら富士山で相撲をとるに違いないということになったようだ
そんな噂は無視すればよかったのですが、ある新聞が、富士山の山頂のような空気の希薄な場所で相撲などとれるものでは無い、と書いてあったのを見て、闘魂に火が付いたのか、そういうのならば、やってやろうじゃないかということになったのでした。どうしてそうなる。
あいにくの暴風雨の中、江見 水蔭と作家仲間たち9名は富士山山頂を目指します。
5合目の山小屋で一泊したあと、雨に濡れながらも山頂を目指し、結局江見 水蔭ら5名が山頂に到達しました。
そこで甘酒と萩餅を食べたあと、雨の中、相撲をとったそうです😱。
もっとも、真剣勝負ではありませんでした。
だれしも富士山の頂上では負けたくない。そこで八百長をしくんで、引き分けとすることにした。
明治時代の破天荒な作家のエピソードでした😆。
■参考・引用資料
『明治不可思議堂』 著:横田 順彌
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