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【歴史のすみっこ話】漢字、危機一髪2~ローマ字論と漢字節減論~[1189文字]

1869年(明治2年)──

この年に、『漢字を廃止して、日本語をローマ字で表記』しようと提案する人が初めて現れます。
南部義籌(なんぶ よしかず)という土佐出身の漢学者です。(あれ?)

『修国語論』と題されたその提案は山内容堂に提出され、1872年(明治5年)に、南部義籌は、『文字ヲ改換スル議』を文部省に建議しています。

戦後、GHQが日本語のローマ字表記化を検討したことがあり、あながち荒唐無稽な案とは言いきることはできません。

なにより、当時の世相(文明開化)と相まって、当時の知識人に受け入れられる素地は十分にありました。

中には、五代友厚と共に、イギリスに密航留学したことのある森有礼(もり ありのり)の『日本語廃止論・英語採用論』もありました。
 
ですが、これはまだ当時、全国レベルでの日本語(標準語)が確立されていない時期における提言であったろうと思われますので、現在の英語を社内の公用語にというようなこととは、違うのではないかと思われます。
また、森有礼自身も、以降『日本語廃止論・英語採用論』にこだわることはなかったこともあり、ここではそういう意見もあったという参考程度にします。

話を戻します。
南部義籌が提案した『漢字を廃止して、日本語をローマ字で表記』すること=『ローマ字論』を、提案する当時の知識人として、西周(にし あまね)、矢田部良吉(やたべ りょうきち)などがおり、1884年(明治17年)には羅馬字会が設立されます。

漢字廃止して、仮名(ひらがな・カタカナ)またはローマ字で表記するという意見の他に、『漢字節減論』(または『漢字制限論』)があります。

1873年(明治6年)に出版された『第一文字之教』という本の中で、著者の福沢諭吉が以下のように主張しています。

「日本ニ仮名ノ文字アリナガラ、漢字ヲ交ヘ用ルハ、甚タ不都合ナレトモ、往古ヨリノ仕来リニテ全国日用ノ書ニ、皆漢字ヲ用ルノ風ト為リタレバ、今俄ニ、コレヲ廃セントスルモ亦不都合ナリ」
(略)
ここでは仮名があるのに漢字を交用していることは「不都合」であるが、歴史的にそうなったのだから、急に漢字を交用することをやめることも「不都合」であると述べられている。

『常用漢字の歴史 教育、国家、日本語』 著:今野 真二 より引用

では、どう折り合いをつけるべきか──

福沢諭吉は、文章を書く時に、なるべく難しい漢字は使用しないように心がける。そうすれば、2千~3千の数の漢字があれば十分事足りる。というようなことを言っています。
(ちなみに、JIS第一水準とされている漢字の数は2965文字、常用漢字とされている漢字の数は2136字)

漢字が多すぎたり、複雑すぎたりして国民の教育に支障が出るという問題を、漢字を廃止するのではなく、使用する漢字の数を制限し、場合によっては漢字ではなく仮名で書くことで解決しようというものでした。

どうする、漢字。

いや、別にどうもしませんけれどもね😏

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