お昼寝ミュージック~フランシーヌの場合 新谷のり子~【1153文字】

1969年に発売された曲なので、リアルタイムに聴かれた方は多くないかもしれません。
ただ当時かなり売れた曲なので、テレビやラジオで流れているのを聴いた人は多いかもしれません。

普通、状況・情景を歌詞を通じて聴いている人にわかってもらう(共感してもらう)ものだと思うのですが、この曲の歌詞はまったく説明が省かれています。

この歌を聞いた時、意味が分からず、疑問しか思い浮かびませんが、発売当時かなり売れたようです。
当時の人がどこまで歌詞の内容を理解されていたのか、疑問ですが🤔。

昔の歌は今よりも短い曲が多いですね。これで1番の歌詞が終わりなのですが、意味がよくわかりませんでした。

ネットのない時代、当時の人はこのもの悲しいメロディに載せて歌われた曲を聴いて、情景がすぐにわかったのでしょうか🤔

ネット社会の今だから、wikiを検索すれば、この歌に歌われていることが何なのかは、すぐにわかります。

1969年3月30日の日曜日、パリの路上でフランシーヌ・ルコント(当時30歳の女性)が、ビアフラの飢餓に抗議して焼身自殺した。
3月31日に朝日新聞夕刊が小さなスペースでこの外電(AFP)を載せた。
CF(コマーシャル・フイルム)の制作に携わり、CMソングの作曲家でもあった郷伍郎は、この記事に触発されて『フランシーヌの場合』を作詞作曲した。

ウィキペディア「フランシーヌの場合」より抜粋

全国紙の、おそらく数行程度の小さな記事から触発されて生まれた曲のようです。
記事として大きく扱われたり、テレビで大々的に取り上げられたりもしなかったはずですから、国民レベルでの情報の共有はなかったはずなのに、レコードは日本国内で80万枚を売り上げます。

レコード売り上げ枚数から見ても、幅広い年齢層に広く購入されたと思うのですが、当時の人たちが共感したのは、実際に起きた事の政治的共感だけではなかったような気がなんとなくします🤔。

この歌がヒットした翌年の1970年、「人類の進歩と調和」を謳う大阪万博が開催され、世界から大勢の人がつめかけます。

戦後の高度成長期のクライマックスとも言えるこの時期、なにか社会に漂う閉そく感のようなものを、当時の人々でさえ無意識に感じていたのでしょうか🤔。

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