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[開化ミステリ紹介]~なぜ絵版師[えはんし]に頼まなかったのか 北森 鴻~[2121文字]

1995年に、明治の初め頃の歌舞伎界を舞台にした歴史ミステリ『狂乱廿四孝』でデビューし、数々の作品を残し2010年に48歳で亡くなられたミステリー作家、北森 鴻氏が、2008年に発表した連作短編集が『なぜ絵版師に頼まなかったのか』です。
(タイトルはアガサ・クリスティのミステリ『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』のもじりです)

本作品の舞台となる時代は明治
主人公は明治元年生まれの葛城 冬馬
そして、ベルツを始め明治政府のお雇い外国人たちや実在した日本人たちが登場し物語に関わる、虚実ないまぜの、ライトな歴史ミステリーです。

 今回は収録作の最初の短編、タイトルにもなっている『なぜ絵版師に頼まなかったのか』の紹介です。


◆当作品中に登場する実在の人物
エルウィン・フォン・ベルツ
 
明治政府に招かれたドイツの医師。東京帝国大学で医学を教える。
 不可解な謎の解明に情熱を注ぐ。作中では日本の文化を偏愛している。

ハインリヒ・エドムント・ナウマン
 明治政府に招かれたドイツの地質学者。東京帝国大学で地質学を教える。
 フォッサマグナの命名者で、後に日本地質学の父と称される。
 ナウマン象の名前の由来になる。作中では日本の文化を偏愛している。

下岡蓮杖[しもおか れんじょう
 
横浜で活躍する写真家。上野彦馬と並ぶ、日本人写真家の草分け的存在。

◆「なぜ絵版師に頼まなかったのか」 ストーリー

開成学校沿革
 東京開成、もと洋学所と名づく。飯田町九段下にあり。
 幕府徳川氏の時、筒井肥前守、川路左衛門尉、大久保右近将監等に命じ協議、創建せしむる所なり。
(以下略)
明治8・12・22 東京曙新聞
 
東京大學の誕生
 開成学校は医学校を併せて東京大學と改まり、東京英語学校は東京大學に属し、大学予備門と改称に相なる趣き。
 明治10・4・7 郵便報知新聞

「なぜ絵版師に頼まなかったのか」 北森 鴻 より

 明治13年ー。
 祖父の死去により天涯孤独の身となった13歳の葛城 冬馬は、故郷の四国松山から横浜に出て、その地で呉服商を営む叔父から奉公先を紹介されます。
 紹介されたのは、エルウィン・フォン・ベルツー東京大學医学部主任の給仕の職でした。

 まだ髷[まげ]を結っていた冬馬は、その日本独特のへスタイルがベルツにいたく気に入られ、給仕として採用されます。
 日本語の会話は流ちょうに出来ますが、読み書きは全くダメなベルツに、新聞記事などを読んで聞かせるのが、冬馬の仕事のひとつでした。

 その事件が起きたのは横浜新埠頭。
 二人のアメリカ人水夫のうちひとりが、「なぜエバンスに頼まなかったのか」ともう一方に詰め寄って、相手の胸部を短銃で撃ち、そして自分自身も短銃を自らのこめかみに押し当て発射し、命を絶つー。

 という事件の新聞記事に興味を持ったベルツは、冬馬に横浜に行き、事件を調べるように命じます。

 横浜に赴いた冬馬は、市川 歌之丞と名乗る新聞記者から、アメリカ人水夫の言ったのはエバンスではなく、絵版師[えはんし]だったと指摘されます。

 それはまだ江戸幕府という組織がこの世を動かしていた時代。とはいっても幕府の屋台骨が傾きかけていた弘化二年のことだ。

 当時狩野派の絵師で狩野薫圓[くんえん]を名乗る男がいた。
 ある日、薫圓は師匠の薫川[くんせん]よりの命を受けて薩摩藩江戸屋敷へと赴き、そこで摩訶不思議な絵を見せられたという。

 なんでもない風景画だが、その描写力たるや、とても人間業ではない。草木一本、苔のけばまでもが精密に描写され、その迫真力に彼は圧倒された。
 この世のものとはとても思えぬ絵をみせられた薫圓は、絵の持ち主に問うたという。いったいどこの絵師が描いたものか。

 すると持ち主は笑いながら「人にはあらず。器物が描きし絵なり」と答えた。すなわち、彼が見せられたのは銀板ポトガラヒィであった。
 [略]
 「そこでわしは絵筆を折り、米国大使ハリスの通辞であったヒュースケン師に技術を学んだのだ。続いて米国人ウンシン師に技術を学び、彼が帰国の際に撮影の機械一式を譲りうけたというわけだな」
 四角い顔の六十がらみの老人が、笑み一つ浮かべることなくそういう。

「なぜ絵版師に頼まなかったのか」 北森 鴻 より

 六十がらみの老人こと、横浜の日本人写真家の下岡蓮杖は、冬馬に絵版師とは、写真師を示す言葉ではないかと語ります。

 「なぜ絵版師(写真師)に頼まなかったのか

 その言葉の意味するものは何か?。
 冬馬の調査を聞いて、安楽椅子探偵よろしく、ベルツとナウマンが推理する事件の真相とはー。


 絵版師なる言葉が歴史上実際にあったのかは不明ですが、おそらくエバンスにかけるための作者の創作ではないかと思います🤔。

 謎そのものは軽めで、この当時(明治という時代)における文明というものが物語のカギとなっています。
 文体はユーモラスで、さらりと読み進められますが、扱うテーマは重い、というのが本作品の特長です。

 西南戦争が終わった後、維新の三傑も消えて、新たな段階に入った明治時代を舞台にした歴史ミステリの佳作と言えるのではないでしょうか。
 いや、最初の一編しか読んでませんけれど😆。

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