[歴史の断片]1944年12月6日-1945年5月29日 -スイス・ベルン、アメリカ-(2496文字)
1944年12月6日。
知日・親日派のジョセフ・グルーが、アメリカ合衆国 国務次官に就任する。
かってグルーの部下であった戦略情報局(=OSS、後のCIA)スイス・ベルン支局長のアレン・ダレス(後のCIA長官)は、グルー宛に国務次官就任を祝う手紙を送った。
その手紙の中で、ダレスはグルーに対して、日本に関する情報提供を申し出ている。
ダレスはグルーほどの親日家ではなかったが、アメリカ合衆国の最終的な敵は、ドイツでも日本でもなくソ連だという認識を持っていた。
ドイツ・日本に対し徹底的に国土を破壊した後に降伏させることは回避するべきである。
(政治的空白期間と経済的ダメージを与えると、共産主義やファシズムの温床となってしまう為)
故に、ドイツ・日本ともに宥和的降伏条件を提示し、ある程度の国力を維持させたまま早期降伏に導くべきだ、という早期降伏論において、ダレスはグルーの同志であった。
日本の早期降伏の実現を目指すグルーは、トルーマン大統領に働きかけ、1945年5月8日に出されたドイツへの戦勝声明の中に、無条件降伏に関する説明を加えることに成功する。
(第1回目のザカライアス放送で、全文が引用され、日本向けに短波で放送されている)
これは、ドイツに対して行われなかったことであった。
同日(1945年5月8日)、グルーはトルーマン大統領に、以下の勧告を行った。
ルースベルトがスターリンとひそかに結んだヤルタ密約を廃棄し、ソ連が参戦する前に、日本に早期降伏を促すよう行動を起こすべきとトルーマン大統領に促したのだった。
1945年5月11日。
ダレスは、日本海軍と繋がりのある武器商人、ドイツ人のフリードリッヒ・ハックに命じて、スイス公使の加瀬俊一と接触させる。
(ドイツ人のハックは、反ナチスの言動が災いして逮捕されるも、ドイツ大使館付海軍武官の小島秀雄大佐の助力により釈放され、スイスのチューリッヒに移住していた。
その恩義からハックは、ドイツに関する情報等を日本海軍に流していた。
ハックは日本海軍への情報提供者であった。
ダレスの私的秘書のゲフェルニッツが、ハックの友人であったことから、1943年2月頃には、ダレスとハックは繋がりを持っていた。)
この情報をダレスから受けとったグルーは、ヤルタ密約を改定させるべく海軍長官フォレスタル・陸軍長官スティムソンに働きかけた。
1945年5月19日。
海軍長官フォレスタル・陸軍長官スティムソンからの検討結果をグルーは受け取る。
『ソ連の対日参戦はアメリカ側の犠牲を少なくさせるために必要であり、ソ連に約束した領土は、密約がなくともソ連参戦によってソ連支配下になるのだから、ヤルタ密約の改定は意味がない』
それは、グルーの提案を却下する内容のものだった。
(但し、分割占領で混乱しているドイツの現状から、アメリカ単独での占領を、日本の降伏後に政治的に判断すべき、との回答は得ている)
1945年5月28日。
グルーは、トルーマン大統領に対して、天皇制を残すことを示した降伏を呼びかける声明を、5月31日に出すことを提案する。
1945年5月29日。
グルーの声明案について会議が開かれたが、陸軍長官のスティムソンが、声明を出すのは『先送りするのが健全』と発言し、それが結論となる。
陸軍長官スティムソンは、原子爆弾を使用することで日本を降伏させられると考えていたのである。
■引用・参考資料
*1 「鈴木貫太郎伝」(著:鈴木貫太郎伝記編纂委員会)
*2 「終戦の表情」 (著:鈴木貫太郎)
*3 「大日本帝国最後の四か月」(著:迫水久常)
*4 「宰相鈴木貫太郎の決断」(著:波多野澄雄)
*5 「昭和天皇」 (著:古川隆久)
*6 「聖断」 (著:半藤一利)
*7 「興亡と夢」 (著:三好徹)
*8 「玉音放送をプロデュースした男―下村宏」(著:坂本慎一)
*9 「重光・東郷とその時代」 (著:岡崎久彦)
*10「侍従長の回想」 (著:藤田尚徳)
*11「終戦史」 (著:吉見直人)
*12「暗闘」(著:長谷川毅)
*13「宰相 鈴木貫太郎」 (著:小堀桂一郎)
*14「昭和史の天皇」 (著:読売新聞社)
*15「『スイス諜報網』の日米終戦工作」 (著:有馬哲夫)
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