[学者・軍人・政治家]【12】シュリーフェン計画01[1751文字]

核兵器のある世界はどういう経緯で出来たのか、歴史の流れをたどっていくシリーズの12回目です。

 前回は、ドミノ倒しのように第一次世界大戦が始まるでした。
 今回は物理学者オットー・ハーンらが軍隊に入って西部戦線に送られるまでです🙂。
 尚、物理学をはじめとする様々な専門的または難解な話は、ボクに基礎知識すら無いため😵‍💫、ご質問されてもお答えできませんのでご了承ください。


 少なくともドイツの都市部においては、戦争の熱気がまん延していた。
 帝国議会において、社会主義政党の議員たちは、戦争反対を表明することなく、こぞって開戦に向けた軍備増強に関して賛成票を投じた。

 ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は「余は党派なるものをもはや知らない。ただドイツ人あるのみ」と演説を行った。
 押し寄せる大衆の感極まる声を受け、ヴィルヘルム二世は、バルコニーから『余は国民を栄光の時代へ導こう』を何度も繰り返したという。

 1914年8月2日。
 ドイツの対ロシアへの宣戦布告が行われた翌日、ミュンヘンのオデオン広場の将軍廟前で行われた愛国的デモの大群衆の中、当時25歳のヒトラーもいて、写真に写っている‥‥‥‥とされるが、その写真に写る人物がヒトラーその人であるかは、近年疑いをもたれていると歴史家のイアン・カーショーは著書に記している。

 オーストリア国籍のヒトラーは、1913年の春に、ウィーンからドイツのミュンヘンへ居を移している。 
 このデモの翌日の1914年8月3日、ヒトラーはバイエルン国王ルートヴッヒ三世に、自分はオーストリア人であるがバイエルン王国軍に従軍したいと、請願をだしたと言われている。
 結果的になぜか国籍は問題にされず、1914年9月初旬に主に新兵からなるバイエルン王国軍歩兵第16予備歩兵連隊に配属されている。
 
 訓練期間の最終日である10月20日には、ベルギーに向けた出発が迫っていて非常に楽しみである、イングランドまで行きたいと願っている、と書いた手紙を知人に送っている。

 カイザー・ヴィルヘルム化学研究所でリーゼ・マイトナーと共に放射能等の研究を進めていたオットー・ハーンの元に、国防連帯への召集令状が届けられたのは、『戦争が始まって数日』と自伝に記されているので、1914年8月初旬のころだろうか。
 オットー・ハーンが見習い士官として配属された大隊は、西部戦線に移動した。

 第一次世界大戦の開戦当初、詳細な先制攻撃の計画を立案していたのはドイツのみだった。
 対フランスとの西部戦線、対ロシアとの東部戦線、二正面での戦争を想定してつくられた計画が、シュリーフェン計画である。

 ドイツはこのシュリーフェン計画を発動させた。


参考・引用資料:
●「シーベルトとベクレル」 山崎岐男著
●「キュリー夫人伝」 エーヴ・キュリー著
●「キュリー夫人と娘たち」 クロディーヌ・モンテイユ:著
●「プルトニウム」 ジェレミー・バーンシュタイン著
12月1日 「ウラン」の発見者マルティン・クラプロート誕生(1743年)(ブルーバックス編集部) | ブルーバックス | 講談社 (gendai.media)
●エックス線物語 馬場祐治 著
●「核エネルギーの時代を拓いた10人の科学者たち」 馬場祐治 著
●「原子爆弾」 内山克哉 著
●「大気を変える錬金術」 トーマス・ヘイガー 著
●「毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者」 宮田 親平 著
●「リーゼ・マイトナー 核分裂を発見した女性科学者」 マリッサ・モス 著
●「核分裂を発見した人: リーゼ・マイトナーの生涯」 シャルロッテ ケルナー 著
●「リーゼ・マイトナー: 嵐の時代を生き抜いた女性科学者 1878-1968」 R.L.サイム 著
●「第一次世界大戦史」 飯倉 章 著
●「毒ガスの夜明け」  井上 尚英 著
●「八月の砲声」    バーバラ・タックマン 著
●「第一次世界大戦」 木村靖二 著
●「オットー・ハーン自伝」  オットー・ハーン 著
●「ヒトラー(上):1889-1936 傲慢」 イアン・カーショー 著
●「ヒトラー: 虚像の独裁者」 芝 健介 著
放射線医学の歴史 (radiology-history.online)
原爆と放射能のイメージ 中尾麻伊香 著

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