【三寸の舌の有らん限り】[02]-伊藤博文02-(1715文字)

 伊藤博文は言う。
 「この日露の戦争が一年続くか、二年続くかまたは三年続くか知らぬが、もし勝敗が決しなければ、両国の中に入って調停する国がなければならぬ」
 
 大国ロシア相手に日本が二年、三年と戦争を継続するだけの国力があるかどうかはさておき、日露戦争を終わらせるための講和を調停する国の必要性は明らかであった。伊藤博文の言葉はさらに続く。

 「イギリスは我が(日本にとって)同盟国だから、くちばしは出せぬ。フランスはロシアの同盟国であるから、またしかりである。ドイツは日本に対しては甚だよろしくない態度をとっている。今度の戦争もドイツ皇帝は多少そそのかした形跡がある。よってドイツは調停の地位には立てまい」

 つまるところ、日本にとってロシアとの戦争の調停が可能な国は一国しかないのであった。

 「ただ頼むところは、アメリカ合衆国ひとつだけである。公平な立場において日露の間に介在して、平和克復を勧告するのは北米合衆国の大統領の外はない。君が大統領のルーズベルト氏とかねて懇意のことは吾輩も知っているから、君、直ちに行って大統領に会って、そのことを通じて、またアメリカの国民にも日本に同情を寄せるようにひとつ尽力してもらえまいか。これが君にアメリカに行ってもらう主なる目的である」

 現アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトと懇意の仲である、その一点で金子堅太郎は選ばれたことになる。

 日露の戦争を終わらせるためにアメリカを介して講和を行う、その考えは正しい。が、日本のためにアメリカが講和の労を取るであろうか。
 それを考えると金子堅太郎は伊藤博文の依頼を引き受ける気にはなれなかった。

 「私がアメリカの事情を知らなければ、ただちにここでお受けするかも知れませんが、アメリカの事情を知っているがために、私はお断りをいたします」
 
 「それは、どういうわけか」

 伊藤博文の問いに金子堅太郎が答えた内容は、『金子堅太郎: 槍を立てて登城する人物になる』(著:松村 正義)において、以下とおりにまとめられている。

(1)米国の独立戦争をはじめ英仏戦争や南北戦争を通じて、ロシアはいつも米国を援助したので、米国人はこれらのことを徳と感じている。
 
(2)目下ワシントンに駐在するロシア大使カッシーニ伯爵は、なかなかの凄腕で、かって北京に駐在して、日清戦争の際には三国干渉時に遼東半島に干与してすこぶる功績があったほか、その令嬢も交際場裏の華と称せられていて、同大使の勢威は侮りがたい。
 
(3)米国民間の諸大会社は、おおむねロシア政府と特約を結んでいるて、アジアおよびロシア本国で官用品を供給する利益を壟断ろうだん(利益を独占するという意味)していること。
 
(4)米国の富豪は少なからずロシアの名門貴族と婚姻関係にあって、同国の上流社会は往々にして意表を突かれるほどにロシア人と親善であることがある

『金子堅太郎: 槍を立てて登城する人物になる』(著:松村 正義)より

 「密接なる関係がロシアとアメリカとの間にはあるにも関わらず、関係の薄い日本から私如き者が行って、いかにアメリカの同情を動かそうとしてもー」

 不可能であるから辞退するしかない、というのが金子堅太郎の出した結論であった。

 だが、伊藤博文はそれを了承しなかった。

 「しかし、君が行ってくれなければ、この任務を果たす者は外にはない」

 金子堅太郎は、小村寿太郎をはじめとしたアメリカに留学した者の名をあげ、彼らにお命じになればよかろう、自分はこの任務を果たすには適任でないと断わり続け、ついには伊藤博文公こそが、この大任に当たる適任者であるとまで言いきったのだが、伊藤博文は引き下がらない。

 「ルーズベルト氏との関係は君が一番親密だ。君の外にない。君が行かねば、アメリカはとり逃がす」

 伊藤博文の強い要請に、金子堅太郎は一晩熟考して返事する旨の約束をし、枢密院議長官邸を後にするのだった。

(続く)


■引用・参考資料■
●「金子堅太郎: 槍を立てて登城する人物になる」 著:松村 正義
●「日露戦争と金子堅太郎 広報外交の研究」    著:松村 正義
●「日露戦争・日米外交秘録」           著:金子 堅太郎

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