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【歴史のすみっこ話】銀ブラ・心ブラ

心ブラという言葉をご存知でしょうか。

大正時代からの俗語である『銀ブラ』(座の街をぶらぶら散歩すること)に対抗したのかどうかはわかりませんが、せやったら心斎橋をブラブラすることは、「心ブラ」やねという感じで広まった言葉のようです。
(ただし、広まったのは、大正ではなく、昭和に入ってかららしいですが)

今となっては使う人のいない死語ですが、あの美空ひばりさんも昭和29年(1954年)にB面曲として『心ブラお嬢さん」を出しています。(A面曲は「日和下駄」)

昭和29年といえば、映画『ゴジラ』第一作目が封切られた年で、ゴジラが東京を破壊しているときに、『心ブラ』のレコードが出される・・・ただの偶然ですね😅
(レコードのA面やB面も死語ですか、そうですか。)

ちょいとすまして 心ブラしましょ
映画見ようか ダンスしようか
ここが思案の戎橋
心斎橋は人の波
よろよろよろけて あるくだけ

「心ブラお嬢さん」 作詞:原六朗

さらに年代は不明ですが(昭和32年?)島倉千代子さんと北原健二さんが、「心ブラブラリはエゝヤナイカ」というレコードを出しています。

ほんになつかし 心斎橋は
恋のかけ橋 緑の橋
花の大阪 エゝヤナイカ
心ブラ ブラリは エゝヤナイカ

「心ブラブラリはエゝヤナイカ」 作詞:「西沢爽」

ところで、時系列的には先にあたる『銀ブラ』、これは銀座をブラブラするという意味の他に、『銀座でブラジルコーヒーを飲む』という意味であるという説もあります。

ですが、『銀座でブラジルコーヒーを飲む』説は、専門家の研究によって、以下の書籍で、「トリックを駆使して創られた平成年製の「『銀ブラ』の語源」」とされています。

残念ながら、図書館にこの本がないので、内容は読めてませんが😅。

流石に日本一長い商店街といわれる『天神橋筋商店街』をブラブラするという意味で、天ブラという言葉はできなかったみたいですね。天ぷらと間違えそうですが😅。

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