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【歴史のすみっこ話】漢字、危機一髪9~危険な予感しかしない~[1821文字]

戦前──。というか、太平洋戦争が始まってしまっている1942年(昭和17年6月に、「標準漢字表」なるものが作られたものの、使用されることなく、終戦の日を迎えたことは、漢字、危機一髪4にて書かせていただきました。

このお蔵入りしたともいえる標準漢字表が、再び脚光を浴びることになったのは、1945年(昭和20年)11月に開催された第八回国語審議会に、時の文部大臣前田多門が、『漢字制限による国字改革についての審議』を委託したことがその始まりでした。

国語審議会はさっそく『標準漢字表再検討に関する漢字主査委員会』を立ち上げます。

名前、長すぎですよね・・・(´-`)

それにしても、ゼロから新たに漢字表の案をつくるのではなく、戦前に作られた標準漢字表をベースにするとしたのには、なにか意図というか、どこからかの圧力でもあったのでしょうか🤔。

『標準漢字表再検討に関する漢字主査委員会』は、まず基本方針を策定しました。

その基本方針の中には、『常用漢字表は大要一千三百文字内外を目標として選定すること』、『常用漢字表以外の漢字は原則として、かな書きにすること』という制限事項がありました。

1942年(昭和17年)6月に発表された「標準漢字表」は、「常用漢字」(1134字)・「準常用漢字」(1320字)・「特別漢字」(74字)から構成されていました。
それを一気に、約1300文字に制限し、それ以外はかな書き表記にするというのは、かなり無理がある気がします。

また後日に、補足条項として『地名はすべて仮名書きして差し支えないか』、『人名はすべて仮名書きして差し支えないか』、『官庁名、官職名、および銀行名、会社、店名などはすべて仮名書きして差し支えないか』が追加されます。

いや、おもいっきり、差し支えがありますよね・・・ (´-`)

固有名詞にめぐってはこのあとも議論が続いて行くが、地名・人名・官庁や銀行・会社の名前をすべて仮名書きすることについては反対論が多く、この提案は最終的に見送られた。
 
地名や人名をすべて仮名書きするのは大いに「サシツカヘ」があると私も思うが、この三つの事項について、「サシツカヘナシ」と判断が下されていたら、いまでは人名も地名もすべて仮名書きという、とんでもないことになっていたかも知れない。

「戦後日本漢字史」 著:阿辻哲次より引用


なにやら漢字、危機一髪的な予感がしてきましたね・・・ (´-`)

ともあれ年末年始を除き、1946年(昭和21年)4月までの期間、毎週、委員会は開催され、1295文字からなる『常用漢字表』の試案ができました。

はたせるかな、第九回国語審議会総会で、この試案に対して、新聞業界から『漢字が少なすぎて、これでは新聞が発行できない』という意見が出ました。
また、法律関係からも『新憲法案で使われている漢字が62文字も入っていない』と指摘を受け、『常用漢字表』の試案は継続審議となりました。

第十回国語審議会総では、『標準漢字表再検討に関する漢字主査委員会』は廃止され、『漢字に関する主査委員会』が新たに設けられました。

委員長に選ばれたのは、『路傍の石』で有名な作家の山本有三でした。
山本有三は国語への関心が深く、昭和20年12月には、自宅に国語研究所を開設するほどでした。

昭和13年に山本有三は、『国語に対する一つの意見」(『戦争と二人の夫人』あとがき)において、次のように書いているそうです。(太字は傍点)

 国民が守らなければならない法律の条文には、ふりがながありません。学者の書く論文にもありません。しかし、こういう文章は、残念ながら多くの国民には読めません。(中略)
 いったい、立派な文明国でありながら、その国のもじを使って書いた文章が、そのままではその国民の大多数のものには読むことができないので、いったん書いた文章の横に、もう一つべつのもじを並べて書かなければならないということは、国語ついて名誉のことでしょうか。
 
 (中略)文章にルビをつけるとか、つけないとかいうことは、だれでもなんでもないことのように思っていますが、こうして考えてゆくと、それは一国の国語としての尊厳にも関係することですし、文体の革新というような問題にも大きな関係を持っていることです。(『定本版 山本有三全集 第十一巻』新潮社 一九七七)

「戦後日本漢字史」 著:阿辻哲次より引用


なんだろう・・・危険な予感しかしない・・・ (´-`)

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