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歴史フィクション・幕末Peacemaker 【04】~五代才助(友厚)とトーマス・グラバー~(1751文字)

※ご注意※
これは薩英戦争・下関戦争前後の時代を舞台にした小説であり、『殆どフィクション』です。あらかじめご注意ください。


「イギリスがサツマを取り込めるかどうかは別にして」
シーボルトは言う。
「すでに民間レベルでは、イギリスとサツマは繋がりをもっています。ここ横浜ではなく長崎で、ですが」

「ほぉ。詳しく聞かせてもらおうか、アレックス (・_・) 」


1853年10月17日(嘉永6年9月15日)、幕府は祖法のひとつともいえる『大船建造禁止』を解除する。
これにより、日本中の各藩は500石以上の大型船の建造や購入が可能となる。
しかし技術力、財政の問題から、大船建造に着手できた藩は限られた。
さらに蒸気船の建造は困難を極めた。
そこで一部の財政力のある藩は、蒸気船の建造から購入へと舵を切り替える。
佐賀藩は1858年(安政5年)にオランダから、スクリュー推進式木造式蒸気船を購入した。

薩摩藩の蒸気船購入は、佐賀藩に少し遅れて1860年(万延元年)になる。
イギリスの西洋式艦船「天祐丸」(イングランド号)である。

薩摩藩による同船の購入については、『薩摩海軍史』中巻の万延元年(1860)12月の頁に記録があります(現代語訳)。
 
 この節、長崎において、蒸気船の買入について川南清兵衛、五代才助に
 長崎出張命令が出されていたところ、幸いイギリス商船一艘が売りに出
 ていた。

「新・五代友厚伝」より

あっさりとした記録だが、これがイングランド号購入に関するものである。
誰から買ったかはわからないが、仲介したのは、ジャーディン・マセソン商会の長崎における代理人ケネス・マッケンジーとその助手トーマス・グラバーであった。

文久元年1月(1961年2月頃?)に、ケネス・マッケンジーとトーマス・グラバーは、ジャーディン・マセソン商会への報告に、薩摩藩がイギリスの中古スクリュー推進式の鉄製蒸気船(戦艦ではない)『イングランド』号を購入したと報告している。
購入価格は12万8千ドルであった。

おそらくこの時をきっかけに、五代才助(友厚)とトーマス・グラバーは面識をもったものと思われる。
文久二年(1862年)の一月には、五代才助(友厚)はトーマス・グラバーとともに上海に赴き、蒸気船を4万両で購入する。
しかし、そのときに購入した船の名前は、今もって不明である。


「なるほど、サツマがイギリスから艦船を購入する窓口になっているのは、五代才助という男か。そしてその 手助けをしているのは、長崎のトーマス・グラバーという商人・・・。戦艦でなく商船を購入するサツマの目的は・・・密貿易といったところか。グラバーはどこまで関わっているのだろうか? (・_・) 」

「グラバーはジャーディン・マセソン商会からの指示で艦船購入の手助けのために動いているようです。彼がこの先も五代才助と繋がりを持ち続けるかは不明です。事実、五代才助は、つい先ほど幕府の上海視察団にひとりで参加しています。まぁ参加といっても、水夫としてもぐりこんだようですが」

「水夫として?油断ならない男だな。上海に行った目的はなんだろう? (・_・) 」

「さぁ、そこまでは。密貿易開拓のためか、武器・戦艦の買い付けか・・・」

「とりあえず、名前だけは覚えておこうか。幕府の上海視察団といったね、アレックス。参加者は幕府の役人だけかい?(・_・) 」

「いえ、幕府の役人以外にも、各藩からの参加者がいますよ。会津、佐賀、高須、徳島、浜松、長州(萩)・・・」
 
このとき、長州(萩)から参加したのは高杉晋作で、五代才助(友厚)と親交を深めている。

「ところで、今、サツマの権力を一手に握っているのは、サツマの藩主ではありません。藩主の父親の島津久光です。彼は今、江戸にいます」

「江戸?何をしに、島津久光は江戸に?(・_・) 」

「ひとことで言えば、国事周旋のためです」

「国事周旋?意味がまったく解らないが(・_・) 」

アレックスは頷く。

「そのうち、おいおいと説明させていただきますよ、サトウさん。今は、サツマの権力を握っているのは島津久光だと覚えておいてください」

しかし、そんな暇はなかった。ほどなくして、生麦事件が起きる。

【続く】


■参考文献
『新・五代友厚伝』
八木 孝昌 (著)

『トーマス・グラバー伝』
アレキサンダー・マッケイ(著)

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