[いだてん噺]二十三日間07(1239文字)

  スウェーデンのエテボリーに着いて9日目、8月12日。

  『昨日一日の休みをとったので今日は大変元気がいい』と絹枝は自伝に記している。

 但し、長い列車の旅の影響か上歯うわば全部が浮いているような気がしており、この日の朝食を終えた後には、上顎の臼歯きゅうしが痛み出し、歯科医で応急手当を受けている。

 この日は朝11時から練習を開始しているが、昨日の夜から降った雨のため、トラックが柔らかくなって、走りにくくなっていた。
 
 六十メートルの全力疾走を試みた。タイム七秒八、本当にうれしかった。
 早く七秒六までに引き上げたいものだ。

 走幅跳は今日こそ六メートルまでと思ったが、助走路がトラックより柔らかいので、ちっともスピードがつかない。
 無理をすると、また前股筋の痛みが走るので、三回しただけで中止した。

 また円盤投げは、初めて取り組む競技なので、勝手がわからないながらも、成果は出ていた。
 円盤投げの方が練習しやすいものの、槍投げも好記録がでていたため、円盤揚げ一本に練習を絞り込むという判断ができずにいた。

 早く円盤の要領が分かればいいのだがと、練習するたびに考えるがどうしてもわからない。
 いわば無茶苦茶に投げているのであるが、それでも今日は三十一メートル一五が出た。
 槍の練習をやめてしまって、むしろこの円盤に力を注いでみようかしら、八百グラムの槍を投げるには大変骨が折れて困るから、と私は考えることもあった。
 しかし断然槍の練習をやめると決心することも出来なかった。
 それは記録が大変いいためであった。

 この日の練習を終えた夕方、通訳のマルチソンが、絹枝の記事が掲載されている新聞を持ってきて、書かれている記事について訳してくれた。

 この写真に見る日本の人見選手は、身長五尺五寸の婦人で、その精神、その身体共に、日本選手として立派なものである。

 彼女の走り幅跳びの記録は、記者がある日、運動場をのぞいた時に見たのであるが、五メートル八〇は立派に出していた。

 我々は日本帝国がこうした選手を送ったことに対して敬意を示す。

  記事を訳するマルチソンの言葉を聞いて、絹枝は苦笑せずにはいられなかった。
 絹枝は今まで、走り幅跳びで五メートル六〇以上を跳んだことはなかったのである。

(※都市名は、人見絹枝自伝に記されているエテボリーに統一)
(敬称略)


■参考・引用資料
●『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著、 織田 幹雄 ・戸田 純:編集
●『二階堂を巣立った娘たち』 勝場勝子・村山茂代:著
●『はやての女性ランナー: 人見絹枝讃歌』  三澤光男:著
●『短歌からみた人見絹枝の人生』 三澤光男:著
●『KINUEは走る』 著:小原 敏彦
●『1936年ベルリン至急電』   鈴木明:著
●『オリンピック全大会』   武田薫:著
●『陸上競技百年』      織田幹雄:著
● 国際女子スポーツ連盟 - Wikipedia アリス・ミリア - Wikipedia

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