[歴史の断片]1945年4月7日

1945(昭和20)年4月7日。
戦艦大和が米軍に沈められたこの日、鈴木貫太郎内閣が発足。

尚、戦艦大和が山口県の徳山湾から出撃したのは、前日の4月6日。

鈴木貫太郎の自伝では、大和が出撃して行った日とあるので、4月6日のことなのだろう。
窓の外で散りゆく桜を見ながら自問したというー。

「軍人たちは、皆『櫻の散り際のごとく潔く』死に、『悠久の大義に生きる』ことを考えている。
しかし、『悠久の大義』とは何を意味するのであろうか。
国家そのものが滅亡して、日本人の義が残るのであろうか。カルタゴも滅びた。その勇武の民はいまいずこにあるのだろうか。一塊の土と化しているにすぎないのではないか?」
もう、やめねばならない」。

これがその日の鈴木の決意であった。

「重光・東郷とその時代」 岡崎久彦:著


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