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歴史の断片-1945.12.31 PM10:20- 幻の紅白

戦争が終わって約4か月半。昭和20年12月31日 午後10時20分から除夜の鐘の鳴る午前0:00まで、ラジオ番組『紅白音楽試合』が放送されました。

当初は『紅白歌合戦』として企画されたのですが、CIE(連合軍総司令部民間情報教育局)から、『合戦(Battleと訳された)は軍国主義的であるため認められない』と一度却下されます。
そこでタイトルを『紅白音楽試合』に変えたのだそうです。

場所は東京放送第一会館で観客は入れずに、ラジオで生放送されました。
「歌」ではなく、「音楽」となっていることから、琴や木琴、尺八などの演奏といった歌を伴わない演目もありました。

幻と言われるのは、資料が完全に残っておらず、曲目や出演者等、全貌がすべて判明していないからです。

『旧制高校生の東京敗戦日記』井上太郎(著)にこの日の記述があると、『「リンゴの唄」の真実 戦後初めての流行歌を追う』永嶺 重敏(著)で紹介されています。

十二月三十一日(月)
いよいよ昭和二十年最後のゴールだ。今日も朝から掃除、風呂沸かしに忙しい。(略)皆で年越しそばをたべる。互に無事あの空襲の地獄を切り抜けてきたのを喜ぶ。
一句浮ぶ『年越のそばに味う命哉』。(略)今日は遅くまで電圧低く、ラジオは二十二時二十分から二十四時までの紅白音楽合戦のみきけた。
それに続き久しぶりに除夜の鐘の放送を聞く。歴史始まって以来の多難な波乱万丈の昭和二十年は鳴り渡る百八つの鐘の音と共に過ぎて行く。

『「リンゴの唄」の真実 戦後初めての流行歌を追う』永嶺 重敏(著)

『紅白音楽試合』の出場歌手の中で、新人歌手は一人だけ、「リンゴの唄」を歌った並木路子だったと言われています。

多くの人たちが、様々な思いで、『紅白音楽試合』に耳を傾けたのでしょう。(聞くことができなかった人も多かったでしょう)。

現在の紅白歌合戦は、1951年(昭和26年)から始まります。

1945年12月31日にラジオ放送された『紅白音楽試合』、勝敗の結果は引き分けだったと言われています。

紅白歌合戦を見て除夜の鐘を聴いて新年を迎えるーかってはそれがありふれた日常であった昭和戦後の日々。
今は人それぞれ、多様な過ごし方があるのだろうと思います。
様式は変わっていっても、それでも平和な日常が来年も再来年も続くことを祈って。皆様良いお年を。


■引用・参考資料
『「リンゴの唄」の真実 戦後初めての流行歌を追う』
永嶺 重敏(著)

『紅白歌合戦 ウラ話』
合田 道人(著)

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