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【ちょっと懐か史】~ 吉村昭氏インタビュー 1996年4月21日~
1996年4月21日の紙面に、作家、吉村昭氏のインタビューが掲載されていました。
川路聖謨を主人公にした歴史小説『落日の宴 勘定奉行川路聖謨』が出版されたことからの特集です。
幕末の小説を書いていると、チラチラと川路が出てくるんですよ。江戸城明け渡しの寸前に短銃自殺をしている。それで誠実な幕府官僚だな、と関心をもった。二十年ほど前です。
日記などの史料を集めましたが、幕末の理解が不十分だと思い、やめちゃった。
だから今回の執筆の際には、本を全部そろっていました。二百万円ぐらい買ったんじゃないかな
吉村昭氏は、緻密な調査、取材によって得た事実を積み上げて作品を描くことで有名な方と聞いています。
司馬遼太郎氏も無数の資料を買い漁ることでは有名でしたが、司馬氏はその中から、自分の描きたい物語にあう史実をピックアップし、作品は史実に忠実というよりも、物語として脚色してるような印象を、個人的に受けます。
司馬氏は天性の物語作家だったのではないでしょうか。
ゆえに史実にはないことも盛り込みます。
だからこそ、司馬氏が描く颯爽とした登場人物たちの物語に、多くの人は時には涙を流さんばかりに心を揺さぶられたのではないでしょうか。
司馬氏の歴史小説を、感情を揺さぶる「お酒」として例えるとしたら、吉村氏の歴史小説は何に例えればいいのでしょうか。
川路の日記は、生き生きとしたいい文章でしてね。(略)死んだ日のものはないので、天気がわからない。気象研究科の根本順吉さんから鶴見の庄屋の日記に書いてあると教えてもらった。そしたら晴れ。翌日も晴れなので、「夕方、空は茜色に染まった」と書いた。読者は気付かないでしょうけど・・・。この一行に三日かかりました。
天気を調べ、事実を積み上げて、三日もかけて「夕方、空は茜色に染まった」の一文に至る。吉村氏のような綿密な調査をして作品へと昇華させる作家は、もう出てこないのかもしれません(ボクが知らないだけかもしれませんが)。
僕は歴史小説は絶対に史実を動かしてはいけないと思っています。
史実こそがドラマです。他の資料と突き合せたり、実際に現地を観たりして、心理や自然についての想像力を働かせるわけです。
1996年は司馬遼太郎氏が亡くなった年でもあります。
司馬遼太郎氏(1923年ー1996年)と吉村昭氏(1927年ー2006年)、歴史小説への取り組む角度の全く違う二人の作家は、ほぼ同時代を生きていたのですね。
■引用資料
読売新聞1996年4月21日紙面
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