歴史の断片-1936.7.25- ブラックパンサー脱走、帝都震撼ス(其の弐=発見=)1245文字
公園内を探しまわるも脱走した黒豹は見つからず、捜査隊の顔には焦燥と疲労の色が濃く浮かんでくるのとは対象的に、元気に動き回っていたのが15頭の軍用犬たち。
その中には赤羽の軍用犬協会支部から派遣された2頭のシェパード犬がいました。
くんくんと鼻を鳴らし、黒豹の臭いを辿るシェパード犬たちは、何度も動物園内の象の檻の東隅にある石橋の所で止まるのでした。
象小屋の前にある鳥小屋や孔雀小屋の前にも黒豹のものと思われる足跡がありました。
小屋の中の小鳥や孔雀に被害がないことから、黒豹は小屋の中の鳥を食べようと試みるも、小屋の網に阻まれ目的を達成することが出来なかったものと思われます。
さらに近くを調べると、石橋の付近から黒豹らしき足跡がてんてんと続いていることに捜査隊は気付きます。
石橋の下に流れる水流に沿って、十間(約18m)ほど東に辿って行くと、水は暗渠(覆いをしたり、地下に設けたりして,外から見えないようになっている下水などの水路。この事件では下水路)の中へと流れており、その暗渠は美術学校(現東京芸術大学)と通じています。
捜査隊は、黒豹がこの暗渠(下水路)の中に入っていったのでは、とあたりをつけます。
可能性として、暗渠(下水路)の中を通り抜けて美術大学の方に出たか(目撃情報がないことから美術学校の縁の下にでも潜んでいるか)、もしくは今も暗渠(下水路)の中のどこかにいるかーー。
捜査隊は黒豹が暗渠(下水路)の中にまだいるに違いないと考え、上野公園暗渠(下水路)の上、地上にあるマンホールの蓋を順番に開けては、横穴となる暗渠(下水路)を覗き込んで、黒豹がいないか確認していくことにしました。
実際にマンホールを開けて確認作業をしたのは上野公園の土木監督とその二人の部下です。
しかし、順番にマンホールを開けては確認するのですが、黒豹の姿は見えません。
もう暗渠から美術大学の方に出て行ったのかも知れないと思いながら、開けたマンホールはいくつ目だったのでしょうか。
動物園前の道路を挟んである公園事務所と美術館の間の道のマンホールを開けて、土木監督が暗渠(下水路)を覗き込むとー。
闇の中に光る二つの目がこちらを睨んでいました。
そのひと睨みに驚いた土木監督は腰を抜かし、思わず地面に尻もちをつきます。
「ヒョーヒョー」としか、口からでてきません。
「ええい、しっかりせんか」
捜査隊から腰をたたかれて、ようやく言葉が出ました。
「いました・・・」
午後2時40分ごろ。こうして脱走した黒豹の居場所が判明しました。
ただちに、美術大学側にある次のマンホールを開けて、丸太を突っ込み、これ以上は黒豹が進めないようにします。
そして各マンホールには、万が一、黒豹が出てきたときに備え、鉄砲隊がそれぞれ銃を構えます。
もちろん動物園側の暗渠の入り口にも、鉄砲隊が筒先を向けて待機しています。
こうして黒豹捕獲作戦が始まりました。
嗚呼、黒豹の運命や 如何にー。(続く)
■参考。引用資料
読売新聞 1936年7月26日朝刊・夕刊記事より
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