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僕が小池百合子支持をやめたわけ

東京都知事・小池百合子。その名を知らない者はいないだろう。

実は、私は2017年の12月まで小池百合子・希望の党の支持者だった。それからも、少なからず支持していた。

しかし、今年に入り、小池都知事に疑念を抱くようになり、私は支持を完全に断ち、反小池となった。

今回は、私が反小池になった理由について、迫っていく。

小池百合子の政策達成状況を斬る!

みなさんは、小池都知事が掲げた「東京大改革・7つの0」を知っているだろうか。

2016の都知事選時の小池都知事の政策である。当時、私は、書いていることにほとんど共感していたので、何の疑念もなく心の中に染み込ませていた。

だが、4年の時がたった今、これらはどうなっただろうか。

そう。この体たらくである。

小池百合子は、理想だけの政治家だった。口先だけの、パフォーマンスだけの政治家だったのだ。

小池都知事は「ふわふわ」したこと、つまり、抽象的なことしか言わない。公約実現からは逃れ、悠々と2選を果たそうとしている。

結局、55年体制の自民党となんら変わりがないではないか。

「東京大改革」は、空の遥か彼方に飛んで行ったようだ。

横文字を使うな~かっこつけるんじゃねぇ~

次は、私の個人的な嗜好の問題と言われればそれまでだが、小池都知事は横文字を多用しすぎだ。それも、尋常な量では無い。

都民ファーストにはじまり、コロナ禍では、クラスター、ロックダウン、ステイーホーム、ウィズコロナなどが連発された。

しかし、どうだろうか。これらは国民の心に響いているのだろうか?

確かに、「密ですゲーム」が大流行したことには変わりはない。ただ、その大流行の波は数週間で過ぎ去り、今では影も形も無い。

結局、小池さんは物珍しい横文字を使うことによって注目を集めようとしただけなのだ。私はこの類の横文字が嫌いだ。いくら何でもダサすぎる。

都民ファーストの会・希望の党は何だったのか

小池都知事2016年の都知事選当選後、自民党とは距離を置き自ら東京都の地方政党「都民ファーストの会」、2017年の衆院選の時には「希望の党」を設立し、自ら代表に就任した。

これらが大きな風を巻き起こしたことは確かである。

しかし、これらは維新の会の二番煎じである。二番煎じだからもちろん、劣化版である。あんなのが改革と言えるのか。

結局、小池都知事は自らの知名度を利用(悪用?)し、維新のパクリをしつつも改革の中身をすり減らし、躍進しようとしただけなのだ。

都民ファーストの会で臨んだ都知事選は圧勝だった。長らく続いた自民党の権力政治に一石を投じる出来事であったことは確かだろう。ただ、都議選からは3年がたった今、どうだろうか。都民ファーストの会は数合わせのため、小池シンパのための勢力と化し、本来の議員としての役割を見失っている。大変恥ずかしいことだ。

結局、「東京大改革」は幻に終わってしまうのだろう。

ただ、「8個目のゼロ」は「公約達成ゼロ」で塗り替えられるのかもしれないが。

親中派の自民・二階幹事長とべったり

これは各種報道でも有名な事だが、小池氏は親中派で有名な自民党の二階幹事長と懇意なことで有名である。これは、2003年頃の【自由党】の時からのつながりだったはずだが、それを今でも引きずり、自民党の権威主義に染まっている小池氏には不快を禁じ得ない。

都知事選、都議選共に「反自民」候補として戦ったのに、今回の都知事選には「自民党」の協力を仰ぐ。有権者を裏切る、卑怯者の行為だ。まぁ、自民党内に二階幹事長に歯向かう人がいないのも問題だが。

【しがらみのない政治】は、どこに行ったのか

小池氏は2016年の都知事選のとき、「しがらみのない政治」をひっきりなしにいっていた。しかし、4年がたった今、どうだろうか。

本気で自公に対抗した政治を行ったのか?労働組合に対峙したのだろうか?

もし、そういう政治をやっていたのなら、自民、公明、連合は支援を申し出ないはずである。

結局、小池氏はそういった人を味方につけだのだ。これでは過去の自民党の権力政治、汚い政治と変わりないではないか。

いずれこうなるとは考えていなかったわけでもないが、ここまでとは思わなかった。

最後に

現在、都知事選が告示され、過去最高の22人の候補が選挙を戦っている。これは小池都政に対する不満の表れでは無いのだろうか。

小池氏は選挙演説、街頭にすら出ないらしい。これは民主主義の崩壊だ。

2期目を目指す小池氏の圧勝はほぼ確実であるが、他の候補には、小池氏を少しでも肉薄すべく、頑張っていただきたい。