左翼老人 03 日本の教養が創った左翼老人
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さて、大学で安保闘争に参加した学生も、歌声喫茶で左翼思想を学んだ人も、多数派にはならないとしたら、何故、こんなに左翼老人が多いのかについて、森口さんは、こう考えます。
わが国の思想的教養そのものが、左翼を創り上げるという悲しい一面があります。
森口さんの考えを引用で示す箇所がないので、私なりに要約しますと、日本では戦後、マルクス主義以前の社会主義は、空想的であるとして駆逐されてしまったのですが、ヨーロッパでは、このユートピア思想は発展し、今でも理想主義的ではあるけれど暴力革命とは一線を画した現実的、平和的な左派として、ヨーロッパの底流に流れています。生活協同組合とか、ドイツ政治の第三勢力である緑の党もしかりです。
日本では、マルクスの共産主義は、科学的社会主義と教えられて、日本人の教養となるのですが、実際は、暴力的・破壊的な社会主義です。
日本の貧困問題を取り上げて、次のように政府を批判します。
「日本には絶対的貧困はなくなったが、相対的貧困率はOECD諸国の中では高く、貧困に苦しむ人は多い。特に子どもの貧困は由々しき問題だ」というと教養ある人ほど信じてしまいます。
(中略)
教養人の多くが共産主義者に騙されたことで戦後の日本は大きな危機に直面しました。高度経済成長以降の豊かな日本で暴力革命は不可能と悟った左翼政党(共産党と旧社会党)は、当面議会で多数派を握ることで、日本をソ連や中国の一員に加えようと方針を転換しました。
この頃は、今では考えられないことですが、「教養人は左翼政党を支持し、無学な者が自民党を支持する」という空気が日本を支配していました。今でも比較的教養のある中高年が、ついつい左翼政党に肩入れしてしまうのは、この時代の後遺症です。もしも、昭和の時代に日本中が教養人であったならば、日本は平和裏に社会主義国となりソ連や中華人民共和国、北朝鮮の陣営に組み入れられていたことでしょう。
昭和の日本が社会主義に転落することを防いだのは、学歴はなかったかもしれない、本も読まなかったかもしれない、しかし、何が本当で何が嘘かを見分けることのできる老人たちでした。共産党や社会党を「アカ」と忌み嫌い、選挙といえば自民党の政治家に入れるものと無条件で信じていた、明治や大正生まれの、多くは無学の、しかし知恵のある老人に昭和の日本は救われたのです。
全国民からみれば、左翼老人は、少数派だということなんですね。
続いて、左翼老人が幸せでない理由を説明していますので紹介します。
アメリカの心理学者セリグマンは、人が幸せであり続けるためには、Positive Emotion (ポジティブ感情)、Engagement (エンゲージメント)、Relationships (関係性)、Meaning (人生の意味や仕事の意義、および目的の追求)、Accomplishment / Achievement (何かを成し遂げること) が必要だと主張していることを紹介して、森口さんは、こう論じます。
ここで重要なのは人が幸せになるためには「ネガティブさ」よりも「ポジティブさ」の方が大切だという点です。左翼であれ右翼であれ、日本社会を根本から変えようと思う人は大前提として、「今の日本は全然ダメだ」というネガティブ思考があるのではないでしょうか。
私がどちらにも幸せな老人を見たことがないのは、そのせいのような気がします。これに対し、幸せな老人は「世界の中で相対的に良い日本を益々良くしたい」と言う人ばかりです。ちなみに、主張する政策が、規制を止めて自由化を進める(右派)か、経済的弱者を守るために規制や税金配布を進める(左派)かは関係ないようです。
私も、同感です。反対、反対というだけでは、ネクラになります。より良くする努力をして、すこしでも成功体験が得られれば、ネアカになります。
つづく
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