見出し画像

私たちが聞いている音楽は、黒人音楽から生まれた!

突然ですが、皆さんは音楽がない世界を想像できますか?

カフェやレストランで聞こえるのは、人の話し声だけ。
映画やドラマもセリフだけ。
通勤・通学する時、大勢でわいわい楽しむ時、何かに心を支えてほしい時、音楽がない世界。

音楽は、心にとっての酸素と言っても過言ではないくらい、私たちの生活と切っても切り離せない大事なものだと思います。推しのアーティストを追っかけたり、お風呂で歌ったり、外ではイヤホンが手放せなかったり。楽しみ方も人それぞれ。

普段は考えないことかもしれませんが、私たちが聞いているこの音楽、一体どこからやってきたんでしょうか?

どこから、と言うとまずその曲を作ったアーティストの顔が浮かぶと思います。そしてそのアーティストにも、インスピレーションを与えたミュージシャンたちがいたはず。こうしてインスピレーションの家系図のような糸をたどっていった先に、一体誰がいるのでしょう。

世界的なポップスターで、R&B歌手のブルーノ・マーズはあるインタビューで語りました。

「黒人音楽」っていうと、それはつまりロックだし、ジャズだし、R&Bであり、レゲエ、ファンク、ドゥー・ワップ、ヒップホップ、モータウンだってことを、分かってほしいんだ。僕はプエルトリコ出身だけど、サルサだって母なる大地(アフリカ)から来たものさ。だから、僕の中では黒人音楽がすべてだよ。それがアメリカにswag*をくれるんだ

※アフリカンアメリカンスラングで、"イケてる"の意

現在、世界中で聞かれているポピュラー音楽の多くは、20世紀にアメリカで生まれたと言われています。そしてその多くは、アメリカの黒人奴隷――約250年にわたってヨーロッパ人に捕らえられ、アメリカ大陸に連れてこられたアフリカ人たち――が生み出したものなんです。

今あなたがスマホから聞いている音楽も、彼らなしでは全然違うものになっていたかも。。。と言われても、あまり現実感がないですよね。

100年以上前に芽を出したアメリカの黒人音楽が、今のポピュラー音楽にどう影響したのか。そして、このことがなぜ歴史に埋もれてしまっているのか。ちょっと一緒に考えてみませんか。どうぞ、好きな音楽でもかけながら!

1. アフリカからアメリカへ――受け継がれたもの

冒頭のブルーノ・マーズの言葉に、「ヒップホップ、ジャズは分かるけど、ロックもブラック・ミュージック?」と思った人もいたのではないでしょうか。

昔のロック・ミュージシャンといえば、まずエルビス・プレスリーとビートルズのような白人スターが浮かぶ人がほとんどだと思います。でも実は、ロックの原型になったのはアメリカ発祥の黒人音楽のひとつ、ブルース・ミュージックなのです。更に、ブルースはロック以外にも様々なアメリカ音楽の誕生に影響を与えました。ここからは、そんなブルースの起源について紹介します!

まだ奴隷制度の影響が色濃く残る19世紀後半、アメリカ南部でアフリカ人奴隷の子孫から生み出されたのが、ブルース・ミュージックです。

「悲しみ」は英語で「ブルー」、青色に例えられます。その名の通り、ブルースでは主にアコースティックギターの弾き語りで、悲しさ・孤独などの感情や日々の出来事が歌われます。

ブルースのもとになったのは、黒人霊歌と言われるアメリカの黒人独自の宗教音楽でした。奴隷制度のもと、過酷な労働をしいられていた人々が故郷を想い、苦しみからの解放を表現して歌った音楽と言われています。

この曲「深い河」は有名な黒人霊歌の一つで、「ヨルダン川を渡って約束の聖地へ行こう」という歌詞から、聖書と関係していることがわかります。

実は、この歌詞には二重の意味があると言われています。奴隷制が厳しかった南部から比較的緩かった北部への逃亡、という奴隷の人々が抱いていた希望と、その間を隔てるミシシッピ川のことを意味しているというのです。自由にコミュニケーションをとることが許されなかった奴隷たちは、主人にばれないように歌詞に二重の意味を含ませてコミュニケーションをとることもあったといいます。

そしてこの黒人霊歌が、アフリカからもたらされたワーク・ソング(*1)やフィールド・ハラ―(*2)、白人から学んだ賛美歌などと合わさって生まれたのが、ブルースでした。特徴的なリズムとメロディーで、即興で歌われることも多いジャンルです。

※1 故郷・アフリカで歌われていた労働歌
※2 離れた位置で働く人々が互いに呼びかけ・応答するように即興で歌う

こちらは『I AM THE BLUES アイ・アム・ザ・ブルース』というドキュメンタリー映画の予告動画です。たった一分前後で「これがブルーズか!」というのを感じられると思うので、ぜひ寄り道してみてください。

2. 黒人音楽の発展は、アメリカ音楽の発展そのもの!

ここからは、20世紀の黒人音楽の発展を年代ごとにたどりながら、黒人音楽がアメリカ音楽をどう形作っていったのかをご紹介します。

20世紀初期

奴隷制廃止後、アフリカ系アメリカ人が南部から各地へ移動するにつれてブルースも広まり、初期の弾き語りスタイルから、他の楽器を含むいろいろなバリエーションが生まれました。その中で、南部の都市・ニューオーリンズでは20世紀初頭にかけて黒人音楽と西洋音楽が出会い、音楽的により洗練されたジャズが生まれます。

ジャズにも、フィールド・ハラ―のような掛け合いや即興性があり、アフリカのリズム感(複数のリズムが曲中で同時進行する「ポリリズム」)などの特徴があります。ちなみに第二次世界大戦以前(1920−30年代)、ジャズは当時のダンスミュージックのような存在だったそうです。都会的で洗練されたジャンル、というイメージが一般的なので、意外に感じる人も多いのではないでしょうか!

戦前、黒人音楽が白人に聞かれることはほとんどありませんでした。黒人ミュージシャンによるレコードを発売した小さなレコード会社はありましたが、その音楽は差別的な意味で「レイス・ミュージック」(レイス=人種)と呼ばれていました。

1940年代

1940年代後半には、ブルースやジャズに続いて発展していたゴスペルの影響を受け、リズム&ブルース(R&Bが登場。実はこのリズム&ブルース、その後に続く黒人音楽のほとんどに影響を与えているのだとか!
つまり、アメリカ音楽、ひいては現代のポピュラー音楽に大きく影響しているジャンルと言っても過言ではありません。

この曲は、1949年のビルボード(!)のリズム&ブルースランキングでトップ入りしたポピュラーソング。私たちがイメージする今の「R&B」と比べて、どうでしょう?「結構違う」と感じませんか?

1950年代

都市部に多くの黒人が移住し、テレビの普及とあいまって、黒人音楽は白人にも少しずつ聞かれるようになっていました。一方、安い著作権で購入した黒人音楽を、白人が歌詞を変えてカバーすることで売れるようになる、という理不尽な現実もありました。

ここに来て、黒人霊歌、ブルース、R&Bと進化してきた黒人音楽が、ロックの前身であるロックンロールに発展します。

ロックンロールが最初にヒットしたのも、ビル・ヘイリーという白人ミュージシャンが、黒人の間で人気だった「ロック・アラウンド・ザ・クロック」という曲をカバーしたことがきっかけでした。この後、チャック・ベリーなどの黒人歌手もヒット曲を生み出していき、彼らに続いたエルビス・プレスリーは、白人音楽であるカントリーミュージックとR&Bのスタイルを融合させ、ロックをメジャーなものにしました。年が近くルックスの良い白人ミュージシャンの存在を通して、白人の若者の間で黒人音楽に対する関心が高まります。

1960年代以降

黒人音楽の認知度は更にあがり、R&Bよりゴスペル色が強いソウルミュージックが登場しました。当時は公民権運動の真っ只中で、黒人としてのプライドが再発見された時代でもあり、ソウルはそれを反映しているジャンルと言われています。

サム・クックは、ゴスペル出身でありながらポップ界でも活躍した、ソウルミュージックの第一人者でした。彼は、白人に人気のポップ・シンガーでありながら、黒人の前ではソウルフルな歌声も披露する多才な歌手だったそうです。

下の2曲は両方とも「Bring It Home to Me」という1962年のヒット曲。
ヒットレコード盤と、唯一の黒人観衆の前で歌われたライブ録音、この2つを聞き比べると、「白人受け」「黒人受け」それぞれの歌唱スタイルの違いがよく分かります!

ヒットレコード盤

黒人観衆の前だけで歌われた唯一のライブ録音

60年代には他にも、R&Bやソウルの影響を受け、グルーブ感の強いファンクや、70年代に空前のブームを巻き起こすディスコが誕生しました。これらの音楽は、70年以降に黒人の若者がヒップホップハウステクノエレクトロEDMなどの新ジャンルを生み出す大きなインスピレーションになりました。

20世紀後半、黒人音楽はヨーロッパにも広がり、そこで発展した音楽がアメリカに逆輸入されるということも起きました。海を越えた日本でも、アメリカ音楽は独自の発展を遂げ、多くのミュージシャンにインスピレーションを与えてきました。

奴隷船に詰め込まれ、家族とも引き離され、見知らぬ地へ連れてこられたアフリカの人々。彼らから取り上げられなかった故郷の音楽は、語り尽くせない苦悩と戦う中で、黒人霊歌へそしてブルースへと姿形を変え、やがてアメリカ全土、そして世界中へと届いていったのです。

3. 今もなお

さて、私たちが普段聞いているポピュラー・ミュージックが、どれだけ黒人音楽の影響を受けてきたか、少し実感していただけたでしょうか。

ここまで散々「黒人」「白人」と言ってきましたが、私個人は音楽そのものに人種や国籍は関係ないと思っています。ここまでみてきたように、黒人音楽の中には、アフリカの感性が西洋の音楽・民謡と出会い、発展してきたものもあります。

その一方で、元は黒人が作った曲が白人のカバーで有名になったり、楽曲が無断利用されてしまうこともあり、音楽が発展する過程で人種差別が関わってきたこと、黒人にとってフェアでない状況があったのも事実です。

今でも、黒人らしい表現で歌われる楽曲はメジャーになれず、白人受けするようアレンジしたものや黒人のステレオタイプを強調する曲(例:ギャングスター・ラップ)が売れやすい傾向にあります。

日本人が消費するアメリカ音楽・黒人音楽も、そのようなフィルターを通して輸出されているものが多くあること、私たちが「これが黒人だ、ブラックミュージックだ」と思っているものが必ずしもそうではないかもしれない、ということを頭の片隅に留めておくことが大事ではないでしょうか。

4. 黒人音楽あるところ、グルーブあり

最後に、黒人音楽がこれだけポピュラー音楽に影響を与えた要因について、独断と偏見で考えてみようと思います!黒人音楽に対する印象は人それぞれかもしれません。なのでその中でも、どのジャンルにも共通するのではないかと思われる魅力を2つ、あげてみました。

静かに座して聴くのではなく、全身で感じたくなるリズム感・グルーブ感

アフリカの鼓動というか、もうとにかく踊れる、体中をめぐるグルーブ感
これは、西洋音楽や日本音楽ではあまり出会わない感覚ではないでしょうか。あなたが日本のポップソングでこの感覚に出会うとき、それはアフリカから運ばれてきたビートを受け継いだ、日本人ならでは感性がなせる技なのかもしれません。

喜怒哀楽、どれをとってもソウルフルな力強さ

②について、Mumu Fresh(ムームー・フレッシュ)、というグラミー賞にノミネートされた黒人女性シンガー&MCの方の言葉を紹介します。

ブラックアメリカンの音楽と世界をつなぐのは、『どんな逆境にあっても生きたい』というレジリエンス(何度でも立ち上がる力強さ)です。
Mumu Fresh

奴隷制が合法だった時代、想像を絶する過酷な労働と抑圧のなかで、「歌うこと」は、彼らにとって唯一自由に近づくこと、自分を取り戻して生きることに等しい行為だったのかもしれません。「全身で感じるグルーブ感」や「魂に響く力強さ」は今でも、黒人音楽のDNAを受け継ぐすべての音楽に脈打っているのだと思います。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。黒人音楽の歴史を語るにはあまりに浅く、あまりに駆け足でしたが、いかがでしょうか。

ここで紹介されたようなミュージシャンは、星の数ほどある文化や音楽の作り手のほんの一握り。彼らのうちのほとんどは、歴史に名を残すことなく埋もれていってしまったのでしょう。

故郷から連れてこられたアフリカ人たちが奏でた音楽や、現在に至るまでの黒人アーティストたちが作り上げてきた文化、それらが世界中のアーティストに与えた影響について知るきっかけになれたのであれば嬉しいです!

その一つ一つが、今でも私たちの日常に音楽として脈打ち、生きる力を与えているから……


参考文献(閲覧:2021年3月)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?