立って弾く

 頭頂部のおできは無事取り除けましたが、入院している間、読書三昧だったり、マトリョミン練習したりと、リハビリをすっかりサボってしまいました。「一日休むと三日分下手になる」と言いますが、リハビリも同じ。麻痺が残っているので癖がつきやすいようで、正すのに時間を要します。

 改めてテルミン演奏を身体の使い方という観点で眺めてみれば、動作を止めておくのと柔軟に動かす、まったく性格の違う運動要素の組み合わせで成り立っていることが分かります。
 脳出血を患う前の私の演奏の特徴は、動かさないことの精度にあったような気がしています。例えばピッチ側の腕の制御において、クローズドポジション位置を移動しないあいだは、肘の座標を固定しておくことに対し、特に注意を払っていました。他の人の演奏を見ると、テルミン式演奏法であっても腕全体で弾いている。鍵盤やフレットといった音の高さの基準がなく、感覚で音を掴むテルミンは言うまでもなく自由な楽器。この自由なフィールド弾く上で、どこかに基準や拠り所がないと私の場合まったく弾けません。せっかく音律や音階から解放されているテルミンなのに、音律や音階を意識して、その基準を求めている。これがベースにあるからこそ、微細な曲げ方のニュアンスが対比として際だってくる。

 脳卒中後遺症で右半身に麻痺が残りましたが、それ以前のように右手ピッチ制御で弾く練習にも取り組んでいます。左手ピッチで演奏する際の麻痺側の手(右手)による音量制御がまるでできていません。これを思いどおりに近づけるためのトレーニング手法として、回り道ではありますが右手ピッチ練習にも取り組んでいるのです。
 右手ピッチでは精度も出せないし、ビブラートもかけられなければ歯切れも悪い。聞こえてくるのは自分の音だと認めたくない「感じない」音。リハビリとしてのんびりやっていたのでは何も変わらない。「本気スイッチ」が入ならないと満足できない性(さが)故に、敢えて自分の演奏の不出来を自虐的に聞いて、自らにむち打っているのかもしれません。

 併せて取り組んでいるのが立って弾くこと。座って弾いている自分の姿を動画で観て、佇まいが美しくないと思っていましたが、演奏全体の練度を優先するため、このスタイルを保っていました。今回の入院が終わった頃から、立ち姿勢での練習を始めましたが、身体がグラグラ揺れて、演奏になりません。片足立ちなど、まっすぐ立つためのトレーニングにも取り組んできましたが、他のどんなトレーニングメニューよりも立ち姿勢でのテルミン演奏が、身体が揺れていることをピッチの揺れでもってはっきり自覚できます。具体的には麻痺側の右足の裏が重心移動を感じて、身体を制御できていない。立って弾いているとピッチの揺れを聞かねばならず精神的に疲れますが、まっすぐ立っていること自体が私のテルミン演奏にとってたいへん重要で、有効なトレーニングになっています。

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