不器用さが創った私の音

 20世紀の終わりごろ手に入れたテルミンがあります。無数のコンサートで弾き、テレビやラジオ番組に出演して、外国にも共に赴きました。2010年頃から不調になり、長い間弾いていませんでした。その間、私は脳出血を患い、利き手の役割を入れ替えたりしていました。ふと、かつての愛機の修理について知人に相談したところ、安曇野にお住いのビンテージ・シンセサイザー修理の名人を紹介してもらい、診ていただきました。もう、治らないと諦めていただけに嬉しかったです。

 脳卒中後遺症で右半身に麻痺が残りましたが、それでもテルミン演奏は諦めきれず、2022年、「利き手交換」して「左利き奏者」として再起を図りました。その際の演奏はNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の「大河紀行」のサウンドトラックとしてCDに収められています。

2009年撮影の懐かしい動画が出てきました。この頃は右手ピッチで弾いています。

 若い演奏で粗はありますが、躍動感もあります。昔の自分の演奏動画を観て、悪くないと思うとは自惚れていますね。
 私の演奏の特徴を言い表すなら、身体の揺れを制していて、静的な制御に重きを置いている点。それをベースにビブラートをかけたり、ディミヌエンドや緩急をつけたりしていました。

 テルミン演奏というと鍵盤もフレットといった音の高さの基準がなく、自由に弾いていると思われているかもしれません。いつだったか、関東の偉い書家の先生方のパーティの場で演奏したことがありますが、「貴方は右手も左手も大きく動かしていたにも関わらず、右肘はジャイロに載っているようにかのように、まったく動いていなかった」とのご感想を伺いました。自由に弾いているように見えたかもしれませんが、弾いている人の意識としてはとても不自由。自分のイメージの中で、何かしら基準となるものにすがらないと、何も弾けません。

 お弟子さんたちの演奏を観察していて思うのは、器用に弾いているということ。翻って私はどうかと言えば、自慢はしませんが不器用です。ボーリングもできませんし、泳げません。リハビリでも療法士の先生がされていることをすぐにできません。
 先述したように自分の中の音の高さの基準を強く意識しています。それがあるからこそ、オクターブ跳躍動作の基準ができ、それをもとに音程跳躍を類推しています。たぶん私以外の人のほうが、ずっと「勘」に頼って自由に弾いている。私だって突き詰めれば感覚に頼っていますが、自分の「勘」はあまり信じていません。

 私は関節も硬く、足首などまるで馬のようです。こういう硬さや不器用さをベースに、気が遠くなるほどコツコツやるのが私のスタイル。器用にできる人は「時短」してしまう人が多い。私はそれができず、じっくりやる。教室の多くは開講して20年を越えますが、身体性の高いテルミンは習得に時間がかかる。じっくり取り組んで自分だけの音色を奏でてほしいと存じています。


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