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私を変えた一台の楽器

 人生を変えた一枚のレコードや、一冊の本は誰しもあると思います。私にとっての一台は楽器です。大袈裟にでなく、この楽器に出会わなかったらまったく違う人生を歩んでいたかもしれません。

 今でこそ音楽を生業としていますが、私と音楽との出会いは遅く、少々変わっていました。音楽にはあまり興味が持てず、録音機を肩にかけ野山に出かけ自然の音を録る「生録」や、ラジオドラマ制作の真似事のようなことに興じていました。そんな私が音楽の道に進むきっかけは幼馴染にバンドに引きずり込まれたからで、そのことについては「15歳のわたし」に書いていますので、よろしければご覧ください。
https://note.com/thereminmasamin/n/nacf3e4e64124

 音楽のおもしろの扉を開けたばかりの私にとって、特に和声の魅力に取り憑かれました。真ん中の音が半音分変わるだけで短調が長調になる。この物理現象と印象の変化の相関には、民族や宗教を越えた普遍性があるのもいよいよ不思議でした。
 ギターが弾き語りブームに乗って人気を博したのは、和声の構造の理解はさておいて、弦の押さえ方をいくつかパターンとして覚えてしまえばジャカジャカ弾き鳴らせ、音楽を楽しめたからだと考えています。鍵盤楽器においては「楽譜」という壁があり、これを越えないことにはギターのようなブームは作れない。YAMAHAのエンジニアが知恵を絞って開発したのがこの楽器であり、指一本でコードを奏でられる機能でした。私にとってはエポックメイキングな製品であり、兄が所有していましたが、まるで自分のもののように使い、朝から晩まで弾いていました。

 YAMAHA "PortaSound"。1979年製ですからいまから40年前の製品です。思い出の一台はヤフオクで見つけました。音が出ないジャンク品でしたが、スピーカーの一部を改造して修理しました。楽器メーカーにもなった立場で見てみれば、ネジの配置も内部配線の取り回しもスッキリと無駄がなく、分解しやすさまで考えて設計してあるのが分かります。何より驚いたのははんだ付けの高度な技術で、まるで工芸品のように美しく整然と付けられています。当時はまだ手作業ではんだ付けしていたでしょうから、パートさんの熟練のはんだ技術が当たり前に備わっており、そのおかげで、40年の時を経てもなお完全に機能して私を歓喜させているのです。



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