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13-3.遅れてやってくるもの

『動画で考える』13.動画の中の時間

イベントやパーティーが終わった頃を見計らって会場を訪れよう。

人びとが集まる場所を、ちょうど良いタイミングを外して訪れてみよう。町内会のお祭りやパーティー会場のような場所、あるいはコンサートやイベントの会場のような場所を、人びとが徐々に増え始めて、最高に盛り上がって、参加者を熱狂させるようなプログラムがおおかた片づいて、人びとが三々五々帰りはじめた頃を見計らって、その場所を訪れてみよう。

その場所は少しずつ片付けられて、会場の関係者が慌ただしく動き回っている以外は、徐々に人も減って残りわずかな人びとが2,3箇所に固まって雑談している、照明も一つ二つと電源を落とされて、会場内はほとんど人の顔も判別できない程度に暗くなり始めている。

時間通りに間に合うことで、あなたは期待通りの体験や出来事に立ち会うことができるだろう。しかし遅れてやってきたあなたは、そのような体験を何も得ることが出来ない。あなたはそこで、ついさっきまでそこにあったもの、そこにいた人びとのこと、行われていたことを想像してみることしか出来ない。

そのような「終わってしまった」場所を動画で記録することで、何を写し撮る事が出来るだろうか?その動画を見る者は、ついさっきまでそこで行われていたことを想像できるだろうか?

そこで行われていたことを想像しながら動画を撮影しよう。

ある部屋を訪れる、しかしそこには部屋の持ち主はいない。一時的に外出しただけかも知れないし、長期的に旅行に出かけたのかも知れない。あるいは既に亡くなってしまったのかも。ともかく部屋はそのままだ。普段着は乱雑に部屋に散らばっているし、飲みかけ食べかけの食器はそのままだ。インテリアや雑貨・雑誌やゲームなど、そこにあるものを見るだけで部屋の持ち主の趣味やセンスがわかる様だし、何より、全てがやりかけそのままで、すぐにでも戻ってくるような気配がある。

そのような部屋を動画で記録することで、何が映るだろうか?その部屋を見渡すだけで、その部屋の持ち主がイメージできるだろうか?その部屋の持ち主がそこにいて一緒に動画に映っていても、その部屋の持ち主がその人物かどうか確証はない。そうであれば実際の人物をそこで一緒に撮影するよりも、部屋の様子だけを手がかりに、そこにいない人物を想像したほうが、よりその人物のイメージをリアルに描けるかも知れない。

動画は、目の前にあるものをそのまま撮すことで正確にその実体を記録できるとは限らない。動画の機能が無条件に目の前にあるものの実体を正確に捉えると思い込むことが、かえって正確な実体を把握することを遠ざけることにさえなる。遅れてくることで、そこに本来あったものを遠ざけて、そうすることで、より正確な像を捕まえることを考えてみよう。

かつてそこにあった存在は、現実世界に痕跡を残し、影を落とす。目の前にあって見えるものだけが存在しているとは限らない。目の前にあるものがすべて動画に映るとは限らない。確実に映るものは痕跡、影。

テーブルの上についさっきまで載っていた熱い飲み物が入ったカップ。机の上には丸く水蒸気の跡が残っている。古い板張りの床。人の通過が多い場所だけ変色してする減っている。あるいは誰も住まなくなった街。そこにはあらゆる生活の痕跡が残っている。誰もいないが、その存在感だけ色濃く残っている。住む人がいなくなった部屋、着る人がいなくなった衣類、通り過ぎる人がいなくなった通りや町並み。

歴史的な遺跡を訪れて、残された痕跡を頼りにかつてそこに居た人びとを撮影しよう。

世界各地に残された遺跡を訪れるとき、私たちは誰もが遅れてやってきた者たちだ。もちろんそこに住む人びとは跡形も無く、往事の様子を語り伝える人も無く、文書による記録も無く、ただそこに残された痕跡しかない。それでも、そのような場所は強烈に動画で撮影したいという欲求を喚起する。古代の遺跡を動画で撮影するときに、私たちはそこにいたであろう人びとの生活や行動をイメージしている。それは当時の光景とは異なっていても、もう一つの可能性としてそこにあるリアルなイメージだ。痕跡は常に私たちのイマジネーションに働きかけてくる。

日常空間と生活を観察し、それを動画で記録するときに、そこにあるものが何かの断片であったり、痕跡であったり、影であることを想像してみよう。目の前の瓦礫は、もともとは大きな建物の一部だったかも知れないし、足下の雑草は、より大きな生態系の一部かも知れない。また、いま目の前で起きた出来事は、より大きな範囲で発生している現象の一部かも知れない。

ごくごく身近な取るに足りないものごとの因果関係を辿って、より大きな体系を想像してみよう。そのような視点を持って、もう一度細部を観察し、動画で記録してみよう。そうすると細部にも、大きなものへと繋がる手がかりや、気配が見つかるはずだ。そういった部分をわかりやすく記録してみよう。動画を見たものが、部分を見ることでその全体を想像できるような提示の仕方を考えてみよう。

動画の撮影において、ドンピシャリのそのものを撮影するのでは無く、一歩ずらして、ワンテンポ遅らせて、そこにあるものを撮影してみよう。そのことによって、本質と距離をとるということ、そのことで動画を見るものとの距離もまた作って提示すること。そうすることであなたの撮影した動画は、それを見るもののイマジネーションに深く働きかけるものとなるだろう。

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