見出し画像

聡明で勝気であった政宗の母、義姫【THE☆JACABAL'S 公演『伊達政宗』講座 vol.3】

どうも!この度、THE☆JACABAL'S 公演『伊達政宗』時代考証担当を仰せつかりました、小松雅樹です!

より「伊達政宗」を楽しんでいただけますようこれから数回に渡って、伊達政宗や伊達政宗が生きた時代背景などを解説していきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します!

第3回目は主人公・伊達政宗の母
「義姫」についてお届けします。

第1回目はこちら↓

第2回目はこちら↓

最上家から伊達家へ嫁いだ、義姫

画像3
THE☆JACABAL'S 公演『伊達政宗』稽古場写真より / Photo: Shinobu ANZAI

出羽国(現在の山形県と秋田県)の戦国武将・最上義守の娘で、
度々伊達家と対立する最上義光の妹である義姫。

最上家と伊達家の同盟強化の為、16歳で伊達輝宗との婚姻が決定し、
輿入れ(結婚)となりました。

義姫は米沢城に入ると、東側の館に入った事から『お東の方』(おひがしのかた)とも呼ばれ、
また、最上家から嫁いで来た為『最上御前』(もがみごぜん)とも呼ばれました。

若い頃から勝ち気だが聡明で、夫である輝宗との仲は良く、嫁いで翌年には政宗が生まれています。
その後小次郎と二人の女の子を生みますが、この女の子2人は夭逝しています。

仲裁に自ら乗り込んでいくアグレッシブさ

THE☆JACABAL'S 公演『伊達政宗』稽古場写真より / Photo: Shinobu ANZAI

夫・輝宗とも仲が良かったですが、
実家の最上家、とりわけ兄の義光とも仲がよく、頻繁に手紙のやり取りをしていたとされています。
また、義姫は良くも悪くも愛情過多の情熱家だったのか、
夫・輝宗が上山満兼の要請で最上義光を攻めた折、
なんと義姫は両軍の真っ只中に輿で乗り入れ、両軍引くまで粘ったといわれています。

同盟の関係で攻めた戦を嫁さんに止められたという珍事ですが、
不思議と輝宗を避難する者は少なかったようで
輝宗の人徳と義姫の行動に周囲も度肝を抜かれたとも思われます。

この当時の奥方は、政治の道具というより本国との外交官の意味合いも強かったようです。
...とはいえ、それは交渉ごとなどの話で、こうまで実力行使する奥方はあまりいなかったようです。

息子・政宗に対して愛情がない訳ではなかった?

THE☆JACABAL'S 公演『伊達政宗』稽古場写真より / Photo: Shinobu ANZAI

息子である政宗に対しても愛がなかった訳ではなかったようで、
政宗が合戦の際、義姫の兄である最上義光に囲まれピンチに陥った時も、
また両軍の間に輿で乗り入れ、停戦・和睦を願っていました。
義光は勝ちが見えていた戦だったので「ここでの和睦は屈辱だ」と一時は突っぱねましたが、
最終的には妹の頼みを聞き入れ和睦したことで、義姫は息子・政宗を救いました。

政宗と義姫の対立

THE☆JACABAL'S 公演『伊達政宗』稽古場写真より / Photo: Shinobu ANZAI

実家愛も過多な義姫、"南東北はみんな親戚"と言われる状況の中、
知った家をどんどん攻める政宗にも何度か苦言を呈してますが、政宗はこれを拒否。
この辺りが小次郎擁立(家督を政宗の弟である小次郎に継がせようとした)の原因とも言われています。

そして夫の輝宗が政宗によって殺され、
また、政宗が実家の最上家の遠縁に当たる塩松氏や本家の大崎氏を攻めた事にも義姫はショックを受けました。

「このまま、政宗を当主にしていては親戚が皆殺しにあう...」

義姫の理想は、亡き夫の輝宗のような
戦はするが『和』と『人徳』をもって南東北を治める事だったようですが
政宗は「その裏には大勢の名もなき足軽が死んでいる!早く南東北をまとめあげた方がよい!」という意見でしたので
義姫と政宗は真っ向対立状態になってしまったのでした。

「政宗毒殺未遂事件」真偽のほどは...

THE☆JACABAL'S 公演『伊達政宗』稽古場写真より / Photo: Shinobu ANZAI

この後、思い立った義姫による
『政宗毒殺未遂事件』は巷では有名ですが
実は記録によると真実は曖昧で、
義光はこの後もちょくちょく政宗と手紙のやり取りをし、
政宗の朝鮮出兵の折、身を案ずる和歌と三両を送っていたりしています。

政宗は義光から送られてきた品にいたく感激し、母への贈り物を探したといわれています。
その後、出羽合戦(慶長5年出羽国で行われた、上杉景勝と最上義光&伊達政宗の戦い)の際にも
義姫から義光への援軍要請をし、これに義光が応じるなど
良好な関係を築いていたように思われます。

義姫の晩年、愛姫との絆

THE☆JACABAL'S 公演『伊達政宗』稽古場写真より / Photo: Shinobu ANZAI

文禄三年、義姫は実家に戻りますが、最上家が改易になるとまた伊達家に戻り、慶長19年に76歳でこの世を去りました。

政宗の正室である愛姫(めごひめ)は、
義姫に貰った義姫手製の下げ袋を生涯大切にし続けたそうです。

THE☆JACABAL'S 公演『伊達政宗』初日まであと6日!

画像1
画像2


お座席が残りわずかの回もございますのでどうぞお早めにご予約ください!

2022/7/13(水)〜7/18(月)両国シアターχ
チケット:6,800円(全席指定席・税込)

☆チケット一般発売 受付中☆
https://www.quartet-online.net/ticket/datemasamune
<備考欄に、御贔屓の役者さんのお名前をご記入ください!>
※ご予約は観劇日前日23時まで

◆公演詳細はこちら◆

Twitterでは稽古の模様など最新情報をお届け中!
是非、フォローしてください!
THE☆JACABAL'S 公演『伊達政宗』公式Twitter


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?