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20/5/30

壁が気になる。
大ガラスばかり気にしていたが、壁も重要な要素だ。
あの壁はなんだろう。安易に考えれは障壁であり境界であり、人間にとっての社会だったり。乗り越えたいものだったり。
色々な壁がある。

壁で思い出したのが、パレスチナ映画「オマールの壁」だ。原題は「عمر」。
読めない。
調べてみると翻訳は「オマール」だった。そうか「壁」は邦題にのみあるのか。

オマールはパレスチナ自治区の青年。
映画では、彼が数メートルはあろう高さの壁をパルクールさながらによじ登り乗り越えるシーンが数多く描かれる。その度に登り方がスムースだったり時には登れなかったりして、そこに光の加減も手伝い、壁がなにかオマールの精神や物語の状況を反映し表しているように見えてきて、とても印象的だった。
よく知らない国のことだからか、先入観も持たずに映画を見ることが出来た自由な鑑賞だった。
そんな中で考えたのは、壁ってやっぱ乗り越えたくなるのかなあ。という映画のシリアスさとは関係のないなんとも素朴な感覚だった。きっとその前に見ていたインド映画「ピザ!」のポジティブな雰囲気のせいだと思う。
壁を乗り越えた先の違う景色は魅力的なんだろうか。オマールは壁の向こうで個人的な欲求を果たし、かつ社会への欲求も果たそうとしていた。あの時、彼の本質は確かに壁の向こう側にあった。オマールにとって壁は乗り越える対象だった。
しかし壁は守ってくれるものにもなる。家塀なんかはまさしくそうだ。ここになにか興味をそそられる。乗り越えたくなるもので守ってくれるもの。そう思うと途端に人間的に思えて来やしないか。

大鴉でも壁は大きな存在感を持って描かれている。
登場人物たちにとって厄介で、時に魅力的で、時に助けてくれる。
「オマールの壁」で得た、壁が物語るように見えてきた感覚を、再現できはしないだろうか。登場人物たちに作用するのとは別に、観客が人物たちと壁と物語の進行とのすべてを見ているからこそ見えてくる壁のなにか。そんな、ナニカ。

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