今現在こう考えている/でも問題意識がある

私、「自分を哀れんではならない」という強烈な意識を持っています。

*以下、自己卑下をする表現で書いています。きついので、これを読もうとしている方で自己の感情を傷つけてしまう方、ストレスを多大に感じる方は以下の要約だけ読んでくださると助かります。

要約「私が単体では価値がない人間だからこそ、他人のために生きねばならないと考えている//しかし、これだけではいつか精神がよくない人間になってしまうから、どうしていけばいいのか悩んでいる。多分、その方法は学問とおはなしではないかと思っている。」


私はある部分ではマイノリティですが、それでも五体満足で、概ね健康で、父母もいるんですよ。マジョリティです。
オマエが何かの属性でマジョリティならば、他のマイノリティの為に、他のマイノリティの分も、働かねば・人と繋がらなければ、生きていたってどうしようもないです。ただ、ここをはき違えて、生産性のないマイノリティを全体の為につぶそうとなるのは違います。

そして、私も人権がある主体です。私個人を消耗したって、全体がよくならないならば、私を消耗することに妥当性はないです。私を消耗することで誰かの命が救えるならば、それでいいです。(だから、保険証の臓器摘出に心肺停止の段階からずっと○をつけています)

適切な自己管理と社会正義と自己葛藤が果たせるロボットって一番”よい”ですよね。

なぜこう考えるか。私が生まれたのは、私の幸福のためではなく、社会的に有益でもなく有益なことを志す訳でもなくエゴである親のゴミみたいな自尊心のために産まれました。

遺伝子が優れている訳ではなく、社会的責任がある立場の家でもない。

こんな人間が自分のために生きていたって、クズ肉がもう1つできあがるだけです。自分の遺伝子で子どもを産む必然性すらほぼない。

私は、(私限定という但し書きですが)子どもを持ちたい人達のために私の遺伝子ではなくその人達の遺伝子で代理出産をしてもよいと考えています。(代理出産しても私の性自認が男性であることに全くの矛盾はないです。)

幸い、私の感性はズレています

これで大多数の人と同じ価値観だったら、すごい苦しいと思うんですよね。まあ、そういう自分は私要らないんですが。

私の美しいと感じるものは大多数は美しいと感じない。

私は味覚がありますし、他人とご飯を食べれば美味しいということが判断できますが、美味しさがよくわからないです。

快適な環境というものがわかりません。(自覚しにくいという意味で。)

私は私を正しく使ってくれる使役者のために、少しでも有能で自律する道具としてのあり方を選ぶことをしました。

(本当はちゃんとした人間でありたかったですが、人間であることを忘れてはいけないのですが、まあどこかで私の代わりに人間であることをやってくれる人達がいるので。)

まあ正しくなくなったらその時は・・・(どちらがというのは伏せます)

私が正しくあるために、

知能と論理と、学問とおはなしへの信仰だけがあります。

なぜなら、人間はしばしば間違いを犯してもそれらを忘れなければ、考えることと批判すること、検討を忘れなければ、きっと健やかに死んでいけるんじゃないでしょうか。

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という風に考えている、ということを最近開陳するようにしたら

「君の考えていることはいつか君を苦しめるよ」

と言われることが多くて「???」って感じで。

これが正しくないならば、私が生産性のない人間であるならば(この生産性の対象は私限定です。他者に尽くすことができない人間であるという意味です)

そしていつかマジョリティの被害者意識をこじらせて他の人を不幸にしてしまう人間になってしまうならば、私はこの考えをどうにか修正しなければなりません。

え~~~どうしよ~~~~って感じです。

何をすればいいんですかね・・・?

教えて貰うことではなく、自分で考えろ!ということかもしれないですが、今のところ他者のために学ぶことしか考えてないですね。それがよくない、とのことだったら、私は自分のために何をしたらよいでしょうか・・・。(ここで手っ取り早いのが自死、という選択肢が思い浮かびます。先日、自分の尊厳を守るための自死がある、というのを見ました。)

まあ、私にとって自殺(*この文字の表記はあえてです。)は、それこそ私の正しい手段を達成するためのもの、という意味合いが大きいので、なんとなく他人の意見を受けてよっしゃするか!というのはあまりにも考えなしすぎるのと、それくらいならばさっさとその命を他人のために仕え、という話なので。

さんざん書いてて思ったんですが、私は自己証明のために他人を利用したいだけのクズちゃうんか?という疑念をずっと持っています。だから、私がやることに根本的には私自身を立証するものなんて何もない、私の支援を受けて自立した個人がいたらその個人が偉いのであって、私自身の価値はない。自惚れるな。場合によっては、私が否定される方がその場が回り他の人困らないという確信と証拠があるのであれば、私が否定されてもよい。

位に考えているんですがこれでも足りないかもしれないから、今までずっと黙っていたことを開陳することに決めました。

私の役立った部分が他人にとって大切なのは当たり前で、私自身が役立っている訳ではない。(*これを他人に適用するかは別です。)

私がもし他人に尽くして安心したい人間であるならば、安心が目的であるならば、別にそれはお薬その他贅沢しない範囲内の何かと信仰心で得られるよ、という。

ま、以上の様なことをくだくだ書きましたが、人間なんて根本的には虚無です。

私は人間の倫理を実行する主体としてありたいと思っていますが、同時に人間という存在が”ただの”動物の一種類でしかなく、その感情は脳による分泌物と電気信号で、人間が別に地球上で生きる必然性すらない。とも思っています。不合理な存在であるならネットワーク上に人格をさっさと再現して人間という知能を残して存在も知性もスマートにしていくか、薬とデバイスとAIと調整でがんがん介入すればいい、とも思っています。

まあそれは人権が守られた上、ということになり、だからこそ人権の調整が難しいから進まない部分があるからこそ、人権に関わる社会問題を根絶したら人間はアップデートされるのが早くなると思うんですよ。


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自分用にもですが。

教養が豊かでなければ、誰の助けにもならないです。

即物的な助けは必要ではあるけれど、長期的に誰かを助けるものではないです。

だから、どちらかというと長期ですが即時的な助けにも繋がる学問が必要です。

そして、人間は愚かなので、指針となるためのおはなしが必要なのです。

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あっちなみに私の今書いている言語は日本語ですが、別に私の言葉が日本語でなくてもいいですね。言葉の多様性による思考過程と音の形成には惹かれるものがありますが、スマートに使える言葉があるならばそっちを使うべきだとも思うので。

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