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地球のことを考えれる人になりたい

最近思うんです。

いろんな企業がお金をばら撒いたり、ポイントをばら撒いたりしている。

人はみんなお金が欲しいだけじゃなくて、お金を稼いだり、人とのコミュニケーションを取るのにビジネスでとか、本当にそれだけが幸せに繋がるんだろうかって

今、8時間のきっちりした仕事。4日と1日、別の活動をしている。

ブログを書くこともSNSに呟くこともほぼ毎日のようにネットに繋がってからもう1ヶ月以上続けられている。

多分、SNSに呟いたりというのはそれが普通だったし自分の思いが広がるからなのでしょうね。

僕は、本は書けない。まともな日本語も書けない。
お金にならなくて良いって思ってるから。

稼ぎたいって思ってないから。
拙い言葉でも人に考えてもらったり、人に伝えたいっていう気持ちが強いから。

もちろん日本語上手い人に記事にして描いてもらったほうがもっと見てもらうかも知れない。

だけでも、それよりもやっぱり、いろんな経験したことで、見てきた世界 闇から病み、光や影から、自分がどうしても1人でいる時は、コミュニケーションを人に伝えるのがどうしてもネットでしかなかったからなのですよね。

1日3食食べられる幸せや家族がいる幸せ、友達がいる幸せ、職場がある幸せ、温かい地域がある幸せ、そしてみんなが心配になってくれる幸せにいつも この拙い言葉を「いいね」してくれたりコメントしてくれたり、見ていなくても直接話しかけてくれたり、それだけで僕は幸せだったりします。

自分が小学までは親といろんな場所に行ったり、やらせてもらった、そこからパソコンに出会い、インターネットに出会い、全国各地の知らない人と世界中の人たちと繋がってから
配信したり、音楽を届けたり、そして、自分の思いを伝えたり、恋したり💌 その時代それが 普通でないバーチャルな世界が中学、高校生だった。

 もちろんその頃は、アニメもゲームもたくさんしてたんだけどもね。それこそ、たくさん時間をそこに注ぎながら
高校の受験 や 大学生の受験勉強をしてきたんですよね。

 そうして、このインターネット世界には幼少期から体験しているからパソコンとお友達、パソコンの前の人ともお友達っていう世界で過ごしつつも、家族とは食事したりたまに親戚の家にいっては、ゲームしたり、お手伝いしたりっていう幼少期だった。

 結構、親の言うことを聞いて、毎日幸せと優しさを感じながらぬくぬく育ってきたんですよね。

 大学生の時は、僕は、ハートフルステーションとか、キヨぴーとかのラジオを聞いて育ったから、ラジオブースがあるって噂の「京都産業大学」に入り、パソコンが得意だったから工学部の情報通信工学科という学科に入った。

 そこでは、たくさんの勉強をしたり、今のプログラミングの基礎となる勉強と、情報通信における勉強をしたり、研究をしたりしている。

 今では普通になったpodcast、動画配信、昔のような掲示板、チャット、スカイプの機能もですね。それこそこれが原点だったからこの道に進んでるんだと思う。

 システムを作るといろんなトラブルを知ったし、僕には何求められることができなかった出来事もインターネットに感じたし、実際に近い世界でもあったりするんですよね。

 それこそSNSと言われる前からネットのトラブルだってたくさんあった、出会い厨と呼ばれる人がいたり、荒らしと呼ばれる人もいたり、サイバーテロまではないにせよ。

 子供が子供をいじめる現場だって大人が大人をいじめる現場だってトラブルを起こしているところなんて20年経った今も変わらないん

何一つね。

 それと、動画配信者が本当に増えたんだと思う。その道には自分にはそんなに発言力も説得力がないからただただ自分がやりたい、世の中に何か作れるもの関われるもの

 カーナビ、カラオケ、動画配信、グルメ手帳、グルメアプリ、そして全キャリアを制覇した時には、QRの読み込みの仕組みだったり、メンテナンス用の画面も

 ただそれだけではここまでは来れなかったと思う。人とは違う関係が多く、アーティスト、芸能や声優や演劇という関わりの中からいつの間にか ITの世界とこの業界を繋げたいっていう思いは多かったんだけどもね。

 最終的にずっとこの業界を15年くらい関わったのは、その道のきっかけが「KBS京都」の番組づくりという世界だったのただ、その当時は、勉強と両立とか仕事と両立みたいなところまではいかず友達の誘いだけで、やってたこともありそこまで、自分で積極的にって慣れずにいた。

でも、ここでたくさん今活躍している人もいれば、たくさんの経験をした。旅もしたね。

 卒業の時は、自分が就職活動や単位を落とさないようにの勉強で一生懸命になってなかなか出られなかったから4年生の時にちゃんと卒業もできなかった いわゆる煮え切れないで終わったのですよね。

 多分変わった経歴ってだけで自分のやりたいことも自分が経験したことっていうのって多分人が考える方向性とは違う

 ただ、みんなが困っていること、必要だろうなって思うことを手伝うスタイルを心がけていた。そうしていることが人に役立っていると思ってたりする。それが生き甲斐だったりするんですよね。

 もちろん、音響も照明も舞台も、生活も全て、中途半端な感じで何でも屋になってた、もう少し勉強したり、学習したりってのはせずに関わってたのかもしれないなって、ITも今思えば、もっと極めていればよかったなって思うんだけどもどうしてもネットで自分で調べることだけで、何もかもが知れたし、何もかもがやれたんだと思ってる。

 それだけ便利だからこそ、そこに縋り、そしてiPhoneとかの端末に対して、アプリを動かしたりするというIoTの走りみたいなのができたのが本当に楽しかった。

 もう一度アプリを作れって言われたら多分昔のソースだと動かないし、バーションアップしていかないと、昔のソースだとすぐにコケる。

人間も同じ。勉強をせずに、繰り返し振り返りをせずにやっているといつの間にか忘れてしまったりする。

 だから時が動くと思っているし、地球が回っているから太陽が昇っているから時間を感じているんだけども本当はそういう変化が年と勘違いしているんだってその勘違いが年を老いたなってなるんだって。

 時もお金も全て人が考えた創造物でしかない。つまり、アプリ1つも、人間が作ったもの全ては創造物でしかないって、自分もこの環境の中でやりたいことや刺激そしてやらないといけない義務とその日々の中でやらないといけない選択をしてこうして変化していく。

 性格も身体もその選択の繰り返しの中で、環境や人が作ったシステムの中に流されながら生きている。
 親から愛情を受け、おじいちゃんやおばあちゃんから生き方と生死を学び、そして姉からは子育ての大変さを知りながらも自分は何一つこの家族に恩返しをしていない。

 父親があまり友達を連れて来なかったことがもう少し人を連れてこればここまでコミュニケーションが弱くなかったんかなって言い訳をしながらも、いつの間にか東京に行き、母の愛と父の愛が直接届かない場所に過ごすことで、自立したって思い込んでいたんですよね。

 だから親には経験しなかったインターネットの世界やビジネスの世界をしり、そして親の知らない世界を知り、生活のリズムや考えなどがズレを生じてしまった。

 もともと何一つ家のことは知らないし生活することを知らないまま東京に出たから 何も知らない場所で何もわからないまま、ただただ自分がやれることやできることを一生懸命になって過ごしてきた。

 そうしてくるとお金がない、本当にないってなった時に困ったし、生きていくのに必要なだけのギリギリの毎日で心も体も崩れてしまった。そして最終的に自分が0になる瞬間までいろんなことを忘れてしまうくらい戦意喪失となった。

1週間1000あれば幸せ、1週間1万あれば幸せ、1週間2万円あれば幸せってなってやっとここまで来れたから

それだけお金が欲しいっていうよりはこれで十分って思うし、それだけで幸せなんだって、だってみんなが居てくれるから、街の人とも笑顔で挨拶するだけで幸せだったりするんですよね。

ふと、都会の街の緑道を歩きながら、この都内に緑道があり、そこに生活を感じたり、人の波だったり、歴史を感じたり、そこで色々馳せるだけでも全然幸せなんだって。

誰か連れて行こうとか、誰かにこの素晴らしい世界を見てもらいたいって思っただって自分が見つけた街に過ごした素敵な世界だから

これが自慢の街だからってなんか帰りながらもなんで、企業のポイント還元や政治の消費税15%のニュースを見て、こうやって人がお金で動かされているって。

自分たちが作った仕組みに踊らされてるんだなってふと俯瞰して見たら。なんでその仕組みになったんだろうって考えると簡単。物と物との交換の際にできた画期的な仕組みが「お金」そして、同じ社会を共に生きるためのルールが「時」なんだって

 変わっているのは、それを人は年齢を感じたり時代を感じたりしているだけで、お金が減ったり増えたり、お金をもらえる仕組みをひたすら考えたりするその環境や状況で、変わっていてそこに今の自分の状態があるだけなんだってことに気付いたのですよね。

 大人は子供のままの人は子供のまま。親は自分を育てたり、生活を感じたり、愛情をどのようにその子に注ぐかって楽しみながら、面白かったり、一緒に困ったりって、偶然にそこに宿ったことも全てが生物の共通なんだよね。

 どうして人間は生きるのか。どうして人類は生きるのか、どうして地球は生きるのかってそれぞれの理由はひとつ。

 細胞分裂を繰り返したり、外部の衝撃や内部の衝撃にも耐えながら繰り返し繰り返し、おっきくもなったりちっさくもなったりする環境も状態も全て変化してそして安定したり、不安定になったりと星の力も人の力にも菌の力でさえも全ての力が作用して繰り返している化学物質なんだって。

 そこに「知恵」という偶然のヒラメキでできた人類なのだから、偶然のトキメキでできた生物なのだから

 自分のパーソナルだけで幸せでいることがそれでいいって思っている人もいれば、パートナーだけで幸せでいることがそれでいいっていう人もいる、パーティだけで幸せでいることがそれでいいっていう人もいる。徐々に広げて、街や地域が幸せだけが幸せでいることを、国だけで幸せでいることがそれでいいっていう人もいる。

それが人のためなのか自分だけなのかってその環境や育ってきた環境の中で考えるのかはその個体ひとつひとつの中で化学反応が起きて結果としてその考えにいたる。

 僕はなぜその人が考えたのだろうって思う。そういう時にどのベクトルで、そしてどの範囲で考えているのか。人間社会で生きる上では、周りのことを知らないといけない、そしてその時一緒になった人たちと偶然出会った人が地域で関わったり、ネットに至り、テレビで流れたり、というのは、技術の結果があってそれは、過去の人たちが発明してくれてできた産物だから

 何のために作ったのかは本人次第なのかもしれない。自分の欲だけだったのか、パートナーのためだったのか、パーティーのためだったのか。その偶然の繰り返しの中で作られていくものなのだってね!!

 ちょっとこの文章のゴールがどこにあるのかは、それぞれにお任せするとして、感じる何かを刺激と思うならば不思議と思う人もいるでしょう。それが少し共感した人がいれば 僕が感じるこの思いを感じてくれるだろうし、そうは思わないって感じることもまたそれが選択だったりするですよね。

 真面目に生きることと不真面目に生きることもそれも選択。ただそこの国のルールや会社のルールや家庭のルール、その縛りの中で自分のアイデンティティを守りつつ時を過ごしている世界。それが自分であり、人であるってね。

 この人が満足していれば、そのまま進むだろうし、どこかに、この人が不満になっていれば、自分の体や行動に変わっていくだろうし、流れるまま生きるか、流れに逆らいながら生きるのかはその人が感じて、選択していくものなのだろうって 他人のことは他人、自分のことは自分って切り替えることもあれば、その他人も自分のことを考えられるようになれば、そこで反発があれば離れたり、共感して協力があれば2倍にも3倍にもなるしって言うのが仲間と思うのか。同志と思うのか、パートナーと思うのかって

この言葉のニュアンスがわかればウンウンって頷き、一緒じゃんと思う人もいれば、この人は何を言ってるんだろうって思う人もいるんでしょうね。

 そろそろ自分のゴールがどこにあるのかは、そこでお金が欲しいって思うのも選択。そこでは違うって思えば、お金よりも違う価値に興味があるのかも知れない。

 だから自分の価値観の中ではお金が一番必要っていうわけじゃないから、今必要なのは、仲間だったり、パートナーだったりなんだろうな。共感できる。だからたくさんの人の考え方をするんだろう。

 見え方は違えど、環境が違えど、その変化の中で生きる人だから実は同じって思う人もいれば、実は違うって思う人もいるんだろうね。

 わからんけども この生物のエモさが自分の今の価値観で知ることの喜びを感じているこの時間、地球の生物の全ての考え、地球が何を思いながら回っているんだろうとかを思いながら同じ時を感じること一番幸せだったりするんですよね🔥

万物大学


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