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『目の前に誰かがいることを信じたいし、信じている人を見せたい』 ―劇団速度 野村眞人インタビュー

聞き手:朴建雄(ドラマトゥルギー)

12月18日(金)から京都芸術センターにて上演される劇団速度『わたしが観客であるとき』。コロナ禍での生活の実感から、今演劇にできることはなにかと問いながら作られてきたこの作品。どんな作り手が、どんな思いで創作に参加しているのか?本作品ドラマトゥルク(創作の相談役)の朴建雄が、劇団速度メンバーで今回演出をご担当の野村眞人さんにインタビューしました。

【作品を作った理由】
朴:今回の作品を作るきっかけはどこにあったのか、うかがえますか?

野村:聞かれてパッと思ったのは、『関係としての自己』という本を読んだことですね。木村敏という精神医学者が書いた、臨床哲学の本です。ざっくり言うと、自己と他者の区別がどういうときに成立するのかしないのか。その区別の往復の様が書いてありました。木村敏はそれをオーケストラに例えることが多いのですが、オーケストラとして奏でる全体としての「曲」がまずあって、そこから個々の楽器、その楽器を演奏する「わたし」の音と言うふうに個別化がなされると言っています。他者の奏でる音との関係の中で自分の音を奏でること、全体と個が絶えず切り結んであるあり方を自己のあり方に喩えています。手放しで賛同しうるものではないのですが、僕としても今は概ねそのように考えています。

それと、やっぱり、公演を延期する代わりに、舞台上でやろうと思っていたことをそのまま路上で展開してみたことですね。それを撮影した映像作品(『景観と風景、その光景(ランドスケープとしての字幕)』)では、例えば「歩く」や「横切る」といった人の行為や状況を字幕として街中の景色に設置したんです。当時、街にはまだまだ人がいて、多くの人がその字幕のある風景の中に紛れ込んできました。「歩く」という字幕が出ている時に、通勤していたり買い物していたりしている人がたまたま入ってくる感じです。その時、確かに目の前にいる人は「歩く」をしている人であって、でも本人にとってはなんのこっちゃない「通勤」であり、「買い物」なんです。おそらく、それすら意識の範疇ではないと思います。でも、それを見ていた、そう見えたこの僕においては、確実に変化が生じていました。この変化は僕だけの変化です。画面にたまたま入り込んできた「歩く」人にはなんの変化も生じないんですね。ある時間、ある状況の中で「わたし」が変化の座である、そんな経験でした。
後から、この経験は始まりと終わりがある訳ではなく、ある状況や過程の中にあって自分自身がおのずと変化しているという意味で中動態的な経験だと学んだのですが、その当時の瞬間においてはなんだか得体の知れない変化をただ感じているだけでした。

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一方で、だんだん感染が拡大し、どんどん人がいなくなり始めた頃の話ですが、人はまあいるところにはいました。手も洗えるし用もたせるコンビニとか公園ですね。当然、そこに自分もいました。というか、そこくらいしかいられなかった。それはそれで面白かったんですが、ただ、目の前に人がいるのに、何も起こる気配がなかったですね。そりゃ感染は起こらないかもしれませんが、それ以外何も起こらない。それでいいのか?と思ってました。

朴:東京の駅にいると、社会的距離をとった先にいる人に対する無関心をひしひしと感じます。

野村:京都でもそういう感覚が普通にありました。これは大きな規範なので、田舎だろうが都会だろうがこういう感じはあるんだと思います。あ、でも他府県ナンバーの車に石投げるとか起きましたね。それはでも大きな規範の内面化ですよね。僕をふくめ、多くの人が家にいて、一人の時間は増えたけど、それは困難な現実をどう受容し対処していくのかというような、「いまここ」における主体化の時間ではなかった。むしろ大きな他者、規範を内面化する時間だったのではないかと思います。いつの間にか、人と向かいあえなくなっていましたね。自分自身に生じる考えや感じ方の変化よりも大きな、社会的な変化に同伴させられている感じで、ずっと途中にいるような気分でした。

なんとなく、この状況は変だぞと思っていたところに、一つの出来事がおきました。伏見(京都市伏見区)にある業務スーパーでレジ待ちしてたんです。床のフットマークに合わせて、普通に距離をとって並んでいました。もう少しで自分の番がくる、という時に、僕の前におっちゃんが割り込んできたんですね。「ん?」と思いました笑 よく意味がわからなかったです。ただ、その時に社会的距離が粉砕されたのは確かで、というのは僕にとってその距離は感染を防ぐための距離だったのですが、おっちゃんにとっては誰もいない、あるいは並べると思えるスペースだったと思います。ささいですが、その考えに至る、ほんの瞬間、待てたのは大きかったですね。待って、相手の視点に立つこと。まあ、そのおっちゃんは待てない人だった可能性が高いですけどね笑


【「わたし」も「あなた」もそこにいよう】
野村:そして、ここでまた一つ飛躍が起きるんですが、この経験が3月の映像作品と、その時に読んでいた木村敏の本(冒頭参照)と結びついたんです。

朴:どのように?

野村:そうですね、自分で言ったのにいま考えだしてるんですけど、この、レジ待ちの時にふと飛び込んできた人は、3月の映像の中にたまたま登場する、「歩く」とかの人に近いですね。それによって自分に勝手に変化が生じたというのも、映像を作っていた時感じていたことに近いです。それで、ちょっと想像したのは、その人が振り向くというか、例えばたまたま画面に紛れ込んだ「歩く」人がカメラを向いて話し出したら面白いんじゃないかということでした。今だからそう思えますが、もし本当におっちゃんが振り向いたら、かなり動揺していたと思います。木村敏との繋がりは、この動揺かなと思います。こじつけの可能性高いですが(笑)『関係としての自己』の中に、文脈を忘れましたが、レヴィナスか誰かの引用で出てきた言葉で、「汝、殺すなかれ」「わたしはここに」という言葉があって、ああこれかもなと。やっぱりこじつけかもしれないです(笑)

でもとにかく、今は、「わたしとあなた」にまつわることが一番最前線で重要だと思っています。もう一回だれかと一緒にいてみる、「わたし」も「あなた」もそこにいよう、という気持ちがあります。それは、その人の語りを聞いたり見たりすることなんじゃないかと思っています。そうしないと演劇は観られないと思うので。

それから、やっぱり語りの状態にも興味がありますね。ある人の語りが、「本当らしい」と思えるかどうかは簡単で、正直嘘でもどっちでもいいと思っているんです。思ってはいるんですが、どっちでもいいのであればこそ、嘘は嫌だなと思っています。語り得ないことは語り得ないとしてそのままそうすればいいし、語れることは語ればいい、そういう語りの状態がいいなと思っていますね。そういう語りをしてくれると、それを見ている「わたし」にも伝染します。

今回は、出演者へインタビューをして語ってくれた仕方をベースにしながら作っています。
目の前、というとライブの話のような気がしますが、目の前に誰かがいることを信じたいし、信じている人を見せたい。それだけを取り出したいと思って作り始めました。目の前の人が生きている、と思いたいんです。僕の場合は、それは演劇であって、劇場である、と言うことなんだと思います。

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【劇場版/配信版の違い】
朴:今回の作品は劇場版/配信版のバージョン違いがありますが、どう違うのかうかがえますか?

野村:配信を用意した理由は、どこで見るのかを選んでほしいからです。もちろん、劇場には出向かないといけないので、距離や事情によっては配信しか選べない人もいるでしょうが、それでも「わたしが観客であるとき」にいる場所を選んでほしかった。どこで見るか自由、なのはいいですよね。

というのは、何が出来事になるのかが大切だと思っているんです。出来事が触発するのはこころですが、出来事はいつも場で起こります。今回、出来事が起きるのは劇場内ですが、何が「わたし」にとって出来事になるのか、それこそ場を選びます。それは3月の映像を撮って心底思ったことです。全然、例えば部屋の中にいたって、上演という出来事をたまたま部屋でみていたということ自体が出来事になり得ると思います。劇場で演劇をみてても、ずっと集中して作品を追っている訳ではなくて、例えば僕なんかは喋っている人よりもその周りの人や状況、もっと言えば一緒に見ている観客をみてることも多いんですが、そういうことが自分を触発する出来事になったりする。

それから、内容的にも、デザインは分けています。劇場版では、客席から見えるものしか見えないという、まあ普通に上演します。配信では、これまで記録映画を撮影してきた城間さんが手に持っているカメラの映像も使います。城間さんはもともと上演の記録映像を撮ってもらうはずだったのですが、話しているうちに出演も兼ねてもらうことになりました。そうした出演者の視点のジャックが今回の配信の目玉の1つです。アーカイブも残すつもりですが、ぜひライブで立ち会っていただきたいと思います。


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野村眞人 Masato Nomura
演出家。あるものとあるもののあいだにあるズレや距離に着目し、作品を制作している。こまばアゴラ演出家コンクール2018最終上演審査選出、利賀演劇人コンクール2018観客賞、優秀演出家賞受賞。大森靖子ファンクラブ会員。また、村川拓也「Fools Speak While Wise Men Listen」(2016),庭劇団ペニノ「ダークマスター」(2016,2017)「笑顔の砦」(2018,2019)などに出演。


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劇団速度『わたしが観客であるとき』

いつまでも
どこかへの途中にいるような
わたしたちのあいだに
紛れ込む言葉と行為

<劇場上演版> 2020年12月18日(金)~20日(日)
会場:京都芸術センター フリースペース

料金
一般 ¥ 3,000
U-25 ¥ 2,000
U-18 ¥ 無料

<LIVE配信版> 2020年 12 月 19 日 (土) 19:00 ~
劇場での上演に、舞台上の新たな視点を加え、LIVE配信します。

12月27日(日) 23:59までアーカイブ視聴可能。

料金
一律 ¥ 2,000 -

ご予約は以下より。
https://theatresokudo.stores.jp/

公演詳細 https://theatre-sokudo.jimdofree.com/new-1/

フライヤー 表


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