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おそらくアーティストは生命に直接働きかけるんだと思う。

ドイツ政府
「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200330-00010007-newsweek-int

僕が大学2年生の頃、バイト先の数人で飲みに行った時、就職活動真っ最中の先輩が僕の将来を聞いてきた。

血気盛んな僕は、プライドポテトにケチャップとマヨネーズを二重つけしながら迷わず

「ロックンロールで天下取りまんねん」

と返答しました。(誇張と改竄あり)

先輩から返ってきた言葉は、トゲありすぎてその後今まで僕の心にひっかかり続けています。

それは

「俺は衣食住とか人間が生きていく上で不可欠な物しか仕事とは思わない。君ももっと真面目に将来の事を考えた方がよい。」

というものでした。

その時はなんとかやり過ごし、それからも音楽活動をしたり、イベントをしたり、人間の生命維持行為とは直接結びつかない事ばっかりに楽しみを見出していた僕でしたが、やはり心のどこかで先輩の発言に対して明確な反論が見つからなかった事がずーーーと心に引っかかっていました。

THE A.I.R BUILDINGというアーティストや音楽、イベントなどを主軸にしたお店/施設を初めて3年ほど経ちますが、それでもその答えはまだハッキリ見えたとは言えませんでした。

しかし今回のコロナで世界中が不安で覆い尽くされる中、ドイツ政府が表明したアーティスト支援を後押しする施策と声明を見て、僕はアートが人の生き死に直接作用するものなのだともっと自信を持って言えるようになった気がしています。

当たり前ですが僕たちは日常的に死に向かって生きています。時間は減っていき、あるところからは身体も衰えていく。放っておくと人生は1秒ごとにより難しいゲームになっていき、時として本体の電源を切ってしまいたくなる瞬間がある。

というか基本的に人間は常にある程度、死にたいと思って生きているんだと思うんです。 
ある程度はバランスの中で許容されていくことだとは思います。しかしうまくいかない事が重なり
バランスを失うと、いくら身体が元気でも心がどんどん死に近づいていき、身体もそれに呼応する形で死ぬ準備を始めるらしいんですよね。

そんな前提に立つと、生きていくために心に必要な生命維持装置としてのアートやエンターテインメントが見えてきます。

死に向かってどんどん進んでいく僕達を、回り道させたりブレーキをかけたり。生の時間と喜びを最大化する装置として個人にとって、そして社会にとって必要不可欠なものであるんだと。

今集団的にぬぐい切れない不安があり、いつでも1番簡単な死を選べる状況だからこそ、いつもより鮮明にアートはその意味を僕達に見せてくれます。

暗い場所にいることの唯一の救いは、光をより強く求められることなのかもしれない。

THE A.I.R BUILDINGとしては、イベントが出来ない今の状況ではなかなか厳しい状況です。
しかしなんらかの方法で少しずつでも光を届けられたら、この難しい問題を世界が乗り越えた時、それを祝福する装置として大暴れしたいと思います!

ドイツは産業としてアートやエンターテインメントが盛んなので、日本とはポジショニングも違うのでこういう事が言えるというのももちろんあると思います。日本がこれを真似するべきなのか、僕には分かりません。

しかし

アーティスト社会の生命維持装置

そう言える国が存在している事だけで、よしもうすこし生きてみようかという気になりませんか?

そういう意味ではこの演説自体がアートなのかも。

むしろ隣にいる人に希望を与える全ての言説はアート。そう思うと僕もちょっとしたアーティストになれるのかもしれない。

一刻も早く全てのアーティストが、僕達の寿命を延ばす活動を全力で出来る日がくる事を待ち望んでおります。

Stay home,be an artist.

RYO from THE A.I.R BUILDING

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