「いいぞもっとやれ」と、どれだけ言ってやれるか?
今月、一番上の娘が5歳になりました。
最近つくづく思うのは、こっちが意図して「こんなのやらせてみよう」と仕向けた思い通りにはまず行かないし、でも自分の世界をちゃんと持っていて、勝手に色んなものに興味を持っていくんだなーということ。
結局のところ親にできる教育って、本人が勝手に興味を持ったことをどれだけ尊重して「いいぞもっとやれ!」と言ってやれるかどうかだなーと思うんですよね。
最近は「子どもを尊重しよう」という風潮は世の中とても強くなって、昔に比べたら伸び伸び育つ子供たちが多くなってるとは思いますけど、やっぱり常に「いいぞもっとやれ」と言ってやることは不可能で、色々と叶えてやりたいことが沢山ある中で、どこをやらせて、どこは我慢してもらうか。
決して「我慢させて忍耐力をつけさせるのが大事」と言いたいわけではありません。我慢せずに全人類が生きたいように生きられる世界を我々は目指していくべきだと思うので、自分が小さい頃我慢してきたからと言って、それを次の世代にも同様に押し付けるのはナンセンスだと思います。
でもやっぱりこの世の中、まだまだ思い通りにいかないことだらけだし、興味があることを全部やるのは時間的にどうしても無理なので、「どこを大切にして、どこを諦めるか?」という優先順位付けみたいな部分が大事になってくるのかなー。それを繰り返していくと、「MVP(Minimum Viable Product)は何か?」みたいなビジネス的な思考力も、自然に鍛えられていくかも知れないですね!
ただ、子供時代にやらせることは「将来役に立つ」とか二の次で、「今この瞬間のワクワクの最大化」を目指すべきだとも思います。マスター・クワイガンの得意とする「リビング・フォース」ですな。
その辺を、親が考えてあげるだけじゃなくて、子供本人と話しながら「この中で、どれをやるのが一番楽しいかね?」みたいに一緒に考えていきたいなーと。
そして何か没頭し始めたら、そこからは極力余計な邪魔はせずに、ただ「いいぞもっとやれ!」と言い続けてやりたいものですね。結局のところ、「自分がワクワクすることにどれだけ没頭できるか?」が「どれだけ幸せな人生か?」ってことなんだと僕は思うのですよ。
この先世の中がどうなるかは誰にも予測できんので、「安定して食っていくためには云々」みたいなアドバイスも、かなりの確率で的外れになってしまうと思います。でも「今この瞬間のワクワク」というものは、どんな時代でも絶対に変わらない価値だと思うんですよね。
「ワクワクすることに没頭できる人間」に育ってくれさえすれば、まぁ金持ちになるか貧乏になるかは分からんし、どこに住むか、結婚するか子供生まれるかとかも分からんけど、でもどう転んでも、それなりに幸せに生きていってくれるんじゃないですかねぇ?
なので、今自分にできることは「子どものワクワクを邪魔しない、できる限り応援する」「自分がワクワク楽しんでいる背中を見せる」って2つかな。とにかく子供にも自分にも、「いいぞもっとやれ!」と言い続けられる、ステイ・フーリッシュ(富山弁訳:ダラ)な父でありたいなーと。そう思ったのでありました。
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