「執着を捨てる」と「学校の卒業」と

まぁ使い古された言葉ではありますが、「執着を捨てる」というのがとても大切だなーと、最近よく思います。

特に僕は、何事も諦めが悪いというか、執念深いというか、執着が強くなりやすい人間なことは間違いないんですよね。仕事上ではそれが「やり抜く力」となってプラスに働くことも多いですが、少なくとも「人生の生きやすさ、生きづらさ」という次元においては、執着が強いと生きづらいことこの上ないわけで。もっとラクに生きるために、意識して執着を捨てていこうと思っておる次第です。

そこで思い出したのが、中学とか高校を「卒業」するということ。留年とか例外はありますが、ほとんどの場合「必ず3年間で卒業」と決まっていて、そのなかで「一番下っ端」「後輩ができる」「最高学年になる」「部活を引退」「受験」「卒業」みたいな決まったパターンが繰り返されていくわけですよね。

学校生活が楽しいと「卒業するのは寂しい」って思いは感じるでしょう。でも「最初からそう決まっている」わけなので、学校に執着して卒業を拒否したりなどはせず、時期が来たら後輩に色々と譲り、卒業して、次のステップへ進んでいくわけですよね。「執着を自然に捨てられる仕組み」がそこにはあるのだと思います。

社会人になると、こういう「数年で終わってしまうことが決まってる環境」みたいのがなかなか無くなるので、「次の世代に道を譲って自分をスッと身を引く」みたいなことは、しっかり意識してやっていかないと「気がついたら執着が強くなって、自他共に苦しくなっていた」ってことが起きやすいのだと思います。

定年とかはあるけど相当長期間だし、そもそも終身雇用が崩壊して、色んな身の振り方を自分で決めないといけない時代なのでね。

自分で決める、決められるというのは間違いなく「自由」なことです。しかしそこには「執着する自由」「自分を苦しめる自由」も存在してしまうのが悩ましい。おそらく封建時代は、平民は自分の生き方をお上に決められていたので、不満はありながらも「執着し続けて苦しくなる」ことに関しては少なかったのかもなー、とか妄想してます。

言いたいのは「封建時代に戻れ」とか「社会人にも学生みたいな卒業制度を」とかではなくて、「自由にみんな生きていくなかで、上手に自分の意思で執着を捨てられるようになりたいものですね」ってことです。みんなが自分の思い通りに生きられるようになってきた時代だからこその課題だろうなーと思うんですよね。

「じゃあ具体的にどうする?」ってのは、今は何もありません!一生懸命これから工夫していきますw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?