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自分のために生きることができなかった過去の自分へ

体調が優れない日々が続く。ここ2、3年梅雨の時期に不調が続いている。頭が痛かったり、お腹が緩くなったり、動悸がしたり。ひどい時には、立ち上がるのがつらいときも年に一回くらいある。自分の身体と意識のつながりが薄れる経験もした。

原因はいまいちよく分かっていないが、恐らく自分のためではなく、他人(ヒト)のために生きてきたのが原因だと思う。

対人援助職に就いて約3年が過ぎた。もともと心理学(社会心理学)に興味があったが、今のような対人援助につくとは思っていなかった。対人援助職につき、クライアント(普段はそう呼ばないのだが、ここではそう書くことにする。)に対峙するなかで、彼らの課題をどうにかせねばという気持ちが自分のキャパを超えてしまった。そう他人のために生きてきたのだ。

去年までは、基本、事務仕事だけのはずが、何だかんだ対人援助をしてしまっている自分がいた。職場がうまく回ってくれるのであれば、自分が頑張ろうと自分がやるべき仕事の領域を超えて無理をしてしまった。それに加え、なぜ自分だけこんなに頑張っているのだろうと、不満だけが積もっていった。今考えると、必死に自分の仕事の領域を超えた仕事をすることで、自分のポジションを確保したかったのかもしれない。

最近、水澤都加佐さんの『仕事で燃えつきないために 対人援助職のメンタルヘルスケア』という本に出会った。この本の中で書かれている「燃えつき」の兆候や症状に自覚があった。

・ついイライラして、誰かを攻撃してしまう
・やらなければならないことを、先延ばしにしがちである
・つかれているのに、ぐっすり眠れない
しじゅうなんとなく疲れをかんじている
・ぼうっとして、思考がまとまらない
なぜ自分だけ一生懸命仕事をしなければならないのか、と不満に思う
・人と関わるのがとても面倒くさい
・孤立感を感じる

この本を読んで、もしかして自分は燃えつきそうなのかもしれない、そう感じた。

 この本では、「もえつき」の原因を大きく5つあげている。

・「仕事のやりすぎ、仕事へののめりこみ」
・「自分のケアをしないこと」
・「自分の内面と他人の外面を比べるということ」
・「理想と現実のギャップの大きさ」
・「その人の背負ってきた考え」

 この中で2つ目にあげられている「自分のケアをしない」ことが特に印象的だった。自分は、援助職に就く前から、「人の面倒をみたり、人を大切にすることは、自分にとって心地よいこと」だった。一方、「自分の面倒をみること、あるいは世話になることは、あまり好まな」かった。このまま「他人の人生の責任ばかり背負いこんで自分の人生については棚上げして生きていけば、いつか燃えつきてしまう」かもしれない。何かを変えないといけないそう思った。

 これまで燃えるゴミを出すより、コーヒーを飲んだマグカップを洗うより、洗濯機を回すよりも、職場に30分早く着くことを優先してきた。出勤を優先させてきた、これらの家事は、もしかしたらスゴくちっぽけかもしれない。でもこのようなちっぽけな家事からセルフケアを始めるのがよいのかもしれない。そう感じた。まずはこれらのちっぽけな「セルフケア」からはじめて、話が飛んでしまうかもしれないが、自分自身が夢中になれる趣味に没頭するために時間やお金を使う「セルフケア」にいたることで、自分のために生きていきたい。

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