日記:鉛を飲み込む

世の中には、笑って大目に見た方がいい失敗と、しんどくても目をそらしてはいけない問題とがあると思っています。
普段あまり、後者についてなにか思うことは少ないのですが、アイドルを、芸能人を応援する1人の人間として、この件に関して「知らない」というのはあまりにも無責任だと思い、こちらに掲載されている文書を読みました。

鉛のような嫌悪感が全身にまとわりつきました。
何度も画面を閉じては、読むのをやめようと思いました。
だけど目をそらすことはもう出来ない、してはいけない。
どれだけ重たくて消化不良になっても、吐きそうになっても、口にいれて噛み砕いて飲み込まなければならないと思いました。
これは、その消化途中の文章です。



未来ある子どもたちの夢を盾にとって、反抗することも助けを求めることもできない状況下に置き、その身体と精神をボロボロに蝕んでいく。
そんな、悪魔だって躊躇するようなことに対して、誰も何も言えず何十年も黙殺されまかり通っていたこと。
腐りきった権力を更にどろどろに煮詰めたような真実に反吐が出ます。

そして問題の根は深いところまで伸びているように感じました。
もちろん、立場を利用して青少年に手を出した本人がすべての原因であることは間違いないのですが、このような人間を”生まれない世の中にする”ことはとても難しい。それがどれだけねじ曲がったものであろうと生来の性的嗜好をコントロールすることなんてできないし、優生思想的な考え自体するべきではないと思っています。
しかし、理性によって踏みとどまることができる人であったなら、自分の性的嗜好について誰かに相談することができていたなら、家族や医師、会社の人間なりが早い段階で抑止することができたかもしれない。
ここまで巨大な権力さえ手にしていなければ、甚大な被害が広がる前に隔離・更生の機会があったかもしれない。
隠蔽し続けた人、それによって生まれる利権を守ろうとしてきた人が、常軌を逸した行動を後押ししていた責任は大きいと思います。


かといって、じゃあもし仮に私が組織の人間だったとしたら?
目の前で被害にあっている子どもが助けを求めてきたとして、 私はその手をきちんと握ることができたのか、と考えてしまいます。

彼の夢がついえてしまうとしても、私はためらいなく救いの手を差し伸べることができただろうか。 
一人二人を助け出すことができたとしても、巨大な権力で守られた組織自体に石を投げることはできただろうか。
救い出すなんて綺麗事で、彼の夢を守ることが優しさだと言い聞かせてしまう自分になっていなかっただろうか。

目の前の被害と彼らの夢とを天秤にかけるような選択を迫られて、どうあがいたところで罪悪感に苛まれていたと思います。


ずっと昔から告発はなされてきたのに、誰も正面から取り合おうとはしなかった。そればかりか応援してくれていたはずのファンの一部からも強い非難の声を浴びてきた。彼らがどんな思いを抱えて生きてきたのか、想像するだけで心が削られていきます。
でも、都市伝説の類だろと鼻で笑って目をつむって耳を塞いできた自分を「共犯者じゃない」とどうして言いきれるでしょう。

これは対岸の火事じゃない。
なんとしてでも是正しなければいけない。
もう彼らのような苦しみを生まないために、私に何ができるのか。
大きな組織の、大きな影響力と発言力と財力とを手にした人たちに対して、私に何ができるのか。
芸能の世界に飛び込んで体ひとつで立ち向かおうとする人に対して、私は何ができるのか。

故人を罰することができないとしても、同じような過ちを二度と繰り返さないように、起きてしまった過ちに誠実に向き合っていくために、生きている私たちが、生きていく彼らのために、やらなければいけないことがあるんじゃないかと思います。
私は、私の心を動かし世界を輝かせてくれる人々の人生について、真剣に能動的に考え続けられる人でいたいです。


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