見出し画像

p.15 the Best Colleagues file #6 -すべてはのぶさんから学んだ。某最強後輩、伊勢本惇示-

こんにちは!
のぶさんと熱い信頼関係を築き、主に業務や志を高め合ってきた個人にインタビューした「the Best Colleagues(最高の仲間)」のお時間です!

第6回目は、阪大店の伊勢本惇示さん!最終回です!
時には怒られながら、のぶさんの右腕として活躍し、どんな時ものぶさんの背中を追いかけて走ってきた彼から語られるのぶさんとのエピソードは一体どんなものが出てくるのでしょうか?

スクリーンショット 2020-06-26 16.10.27

早速いきましょう〜!
伊勢本さん、よろしくお願いいたします!

のぶさんとの初仕事

記者「のぶさんと初めて仕事をしたのはいつですか?」

伊勢本「1年生の秋ですね。」

記者「どんな仕事ですか?企業担当とか?」

伊勢本「実は、違うんです!きっかけは何か忘れたんですけど…僕が本当にいきなりのぶさんに『交流会の広報に必要なのはLINE@で間違いないです』と言う提案をしたんです。その時広報の課題が何かも僕は知らなかったんですけど、ちょうどその時今まで交流会の広報がTwitterしかないと言うことで、Twitter以外も何かしら考えていかないといけないと言う課題が上がってたらしいんですよね。と言うところに、当時何も知らない僕がのぶさんに提案を送ったので、その時ちょうど始まりそうだったくPJを一緒にやらないかって言ってもらって、交流会の広報の仕事が始まったんです。

記者「なるほど!伊勢本さん自身課題を感じていたものを、当時活躍されていたのぶさんに連絡したんですね。すごい行動力ですね!」

伊勢本「はい。僕も異常なんですけど…笑 LINE@PJは、僕が1年生の秋で、いろんな人に詰められて僕の尖りを削っていったようなPJだったんですけど、結局LINE@を運用するにあたって、コストかかるよねってなって、頓挫したんです。それでも、別で手を打たなきゃ行けないから別の策を考えていた時に、Twitterはもう十分なので、インスタにしようってなりました。でも、インスタのアカウントを開設するだけではすぐ効果は出ないから、インスタの広告を出す案を僕が出しました。だけど、そこからずっと会社がゴタゴタしていたので、9月くらいに始まったPJだったのに考えるのに3ヶ月くらい使って結局12月くらいにインスタの広告を初めて出せました。しかも1回しか出してないし、1回に3万くらいコストかかった…そのPJの中でめちゃぽしゃりそうになってたんですけど、社長への承認の時に、『じゅんじから社長に言って!俺からフォローしておく』とのぶさんに言われ、怒られるって目に見えてたんですけど、その時にのぶさんに言われたのが、『怒られる時は俺も一緒に怒られるから、一緒に言いにいこう』って言ってくれて、いい上司だ…ってなりました。(ニヤニヤ)」

記者「えぇ〜!すごく頼りになる上司ですね!」

伊勢本「(ニヤニヤ)いい上司。すごいこの人!ってなった。結局、社長に怒られはしなかったけど。

でもなんか、実はこのPJ間にもう一悶着ありまして。いい上司だって言うのは間違い無いんですけど、1個のぶさんにブチギレられました。僕が勝手に、広告の画像何にするとか、広報系の話を進めてしまってたんです。当時の広報MGと全然連携を取っていなくて、確認を取らずに依頼を流していたら、『企業部門として動いて見えることが、全然連携とってくれないし、今後は企業部門からの依頼は受け付けません』と言う感じになってしまって、僕が怒られました。当時1年生の僕、メンタル崩壊。すごい、はぁ〜ってなっていて、落ち込みながらのぶさんに報告したら、のぶさんも『は?なんでそんな話になるん?それお前の伝え方が悪いんじゃない?』みたいになって、『え!』って驚いたことはありましたね。結果、僕はしゅんとして怒られて、最終のぶさんと当時の広報MGはめちゃ仲良くなるって言う。めちゃ怒られるから、そんなやばいことしたのかなってめちゃ焦って、怖かったですね。

記者「そんな事件があったんですね。伊勢本さんも、びっくりしたことが多かったでしょうし、強くなられたのではないでしょうか。」

伊勢本「間違いないです」

一番印象に残っている仕事

記者「一番印象に残っているのぶさんとの仕事ってあるんですか?」

伊勢本「なんだろう。」

記者「少し質問を変えますね…のぶさんと”やりきったぜ!”と思うエピソードはありますか?」

伊勢本「やりきったエピソードは、去年の10月、組織改変のPJですね。あれは正確に言うと僕とのぶさんだけではないですけど、畑井田さんとかあっしーさんとかいた。そこは、やっぱりいろいろありましたね。めちゃやりきった感あったね。」

記者「組織改変!なぜ、印象深いんですか?」

伊勢本「初めて長期的に大きな仕事をのぶさんとできたからですかね…!今までのSHIRUWORKとか一緒にやっていたこともあり、のぶさんがいよいよ経営企画に入ると言うタイミングで、一緒に仕事してくれないか依頼されたんです。2月くらいから徐々にのぶさんと一緒に競合調査とかしつつ、それを経て、5月僕東京で、のぶさんとあっしーさんと畑井田さんと徳海と僕で、会社の状況などを飲みながら話して、そこから組織の課題とかあっしーさんがヒアリングしたら、(組織の課題が)300個以上出て来て。笑 解決法をたくさん考えていく中で、その課題をまるっと解決するためには組織自体を変えなきゃいけないって言うことになり、組織改変PJがスタートしたんですよ。のぶさんに頼まれる資料を作ったりしながら、5ヶ月くらい一緒の仕事をしました。今までは単発だったのが、この時初めて長期間一緒の規模の大きい仕事をのぶさんとしました。経営戦略から組織の戦略に落とし込んで、実際に動かしていくところまでやったし、動かしていく予算の規模も大きくて、自分が果たす役割とか初めて大きかったんですよね。知るカフェ全体を動かすのが初めて、そしてそれがのぶさんと一緒にできたと言うのが、一緒に走り続けたと言うことで、とても印象的で思い出深いPJだったなって思いますね。

記者「一番絆が深まったPJと言うことですかね?」

伊勢本「絆が深まったのはもうちょっと前であって欲しい。笑」

記者「なるほど。十分な信頼関係と絆が深まっていたからこそ、このPJを一緒にできたと言うことですかね」

絆が深まったきっかけ

記者「のぶさんにとって伊勢本さんは素晴らしい相棒という印象を受けますが、実際お二人の絆が深まったのはいつだと思いますか?」

伊勢本「絆深まったので言うと、SHIRUWORKですね。

記者「SHIRUWORKということは、のぶさんが社員になる前の段階ですか?」

伊勢本「はい、そうですね。のぶさんがリリースしたのが社員になる前の5月とかだったかな?僕が実際にPJに入ったのは8月だったんですけど、本格的に始動したのは10月以降で…初めて仕事で成果を出すと言うことを実感しました。僕自身成果を出した成功体験になっているし、それでのぶさんの信頼を得れたんじゃないかなと思いますね。だって、10月以降のSHIRUWORKはほぼ満席なんですよ。集客の責任をのぶさんに任せてもらえて、そこからずっと満席を達成して。笑 僕としてもすごい成長できたと思いますし、知るカフェでの1番の成功体験な気はしていますし、大きなポイントですね。

記者「なぜその集客を頑張ろうと思えたんですか?」

伊勢本「ええ〜。1つは、個人的な話で、あんまり負ける勝負本気出さないんですけど、SHIRUWORKは絶対やれば集めれるって言う自信があった。自分の中で集客で、こうやれば集まるって言う方法が浮かんでいたから、成果出せるなって思った。

あと、もう一つは、めっちゃ恥ずかしんですけど…感謝…的なやつ…ですね笑 割と、僕の中で、知るカフェは2年生の時にのぶさんに救ってもらってそこからいろんな仕事のスキルものぶさんから教えてもらいつつ高めてもらったところだったので、なんかそう言うの授かってばっかりだから、何かで返さないといけないなって思っていたんですよ。その時に8月にSHIRUWORKの集客を任された時、のぶさんが割とキャパっている状態だったんですよね。やろうと思えば自分できっとできるんでしょうけど、そこに時間を裂けないと言うか、時間的な余裕がなかった時期だったので、それを僕に頼んできてるってことは僕はこの人を助けなければならないって思ったし、それを返すのは成果として見える形で返してあげることが1番感謝を伝えることなのかなって言うのを感じ取りましたね。(終始照れる)」

記者「照れてますね!!素敵なお話です。」

伊勢本「はい…照」

のぶさんから学んだこと

記者「のぶさんの背中を見て学んだことはなんですか?」

伊勢本「それ僕の大半じゃないですか?僕の大半のぶさんから教えてもらってことでできてますよ。じゃあ、ひょっとして僕が彼女ができないのって…のぶさんが悪いですか?」

記者「説あるね」

伊勢本「あんまりよくないんですけど、僕、自分で調べて仕事のスキルを身に付けた記憶がないんですよね。もちろん、技術的な面とか自分で調べることあるんですけど、考え方とかはのぶさんからまず教えてもらって、そこから調べるということが多かったですね。そういう点で言うと、いろんなフレームワークとかもだし、あと資料の作り方もそうですね。僕の資料の作り方ってめちゃくちゃのぶさんの資料に似ているんですよ。どうやったらのぶさんの資料に見せられるかと言うのを考えてやっていました。ほぼのぶさんの資料のパクリ。笑 表とかつくるときに、のぶさんて中の罫線とか全部点線にするんですよね。これのぶさんの受け売りですね。」

記者「のぶさん、資料綺麗ですよね。資料作成の他に、のぶさんから学んだことはありますか?」

伊勢本「僕がうどん好きになったのはのぶさんのせいですね。うさまるものぶさんのせいですね。

記者「そう考えると、インフルエンサーですね、のぶさん」

伊勢本「そうですよ。学んだっていうと、全部なんですけど。細かいので言うと、うさまるのスタンプとかもあるし。いっぱいあるんですけど、各所で学んでるんですよね。思考とかマインドとかは入れてくれているんで。本当に…いろいろ。これに尽きる。」

記者「これだけ一緒に仕事をしていたら数えきれないですよね」

伊勢本「そうですね。あと普通に学びを送ってくることもあります。経営企画としてのあり方、とか。突然送られてくるんですよね。」

”俺たち経営企画のミッションは、ただ1つで”事業目標を達成すること”。それを達成する為の戦略(戦いを略す=無用な争いを起こさない)を練り上げて、実行することが役割。

その為には課題の構造化と概念化によって、素早く状況を理解し、それに対する最適な解決策を提案していく。

それをするには、課題の発生源と把握方法の確立、そして現状のリリースを常に把握しながら、出すべき札をすぐに出せる対応力が求められる。

E社経営企画は、他会社のスプシとエクセルとカタカタ触っている事務作業屋さんではなく、真の意味で事業を成長させる中核であるからこそ、その一件雑務に見える課題に対しても向き合わなければならない。

経営企画が諦める時は、会社が諦める時だ。

のぶを”

画像2

経営企画について述べられたLINEとそれに対しての伊勢本さんの返信

記者「伊勢本さんの返信…」

伊勢本「僕実はこの後怒られているんですよね、のぶさんに。」

記者「伊勢本さんの返信がこれだからですか?」

伊勢本「いやいや違いますよ。あの時確か、知るカフェ.comのリリースの時期でした。僕としてはあのリリースは不完全だと思ったんですよ。準備が全然できていないから、突然リリースしてアプリの内容が変わるとなると、店長や店頭で伝えるスタッフにめちゃくちゃ負担がかかるなって思ったんですよね。だから前もってスタッフに言わなきゃいけないところ、準備不足でできなかったから、翌月にリリースした方がいいのではないかと言う話をのぶさんにしたんですよね。でも、だめだった…普通にスケジュール通り実行しているだけやでみたいに返ってきた。初めて意見が対立した瞬間でしたね。

記者「そりゃあ、対立することもありますよね。」

伊勢本「自分で考えて行動してって言うんですよ。笑 しかも上の経営企画のミッションの話の後にこれがきて、『えええ!』ってなった記憶があります。」

記者「大変なことに巻き込まれたんですね。伊勢本さんを信頼してこそなんですかね。」

伊勢本「こんなのは慣れてるんで、いいですよ。大した問題じゃない。こう言うLINEも面白いですよね」

画像3

突然のぶさんから来たLINE

記者「なんですか、これは!」

伊勢本「これ、11月ごろなんですけど、組織改変のPJが終わって、一旦僕解任で、仕事がなくなった瞬間があったんですよ。だから一旦知るカフェ休憩の時期かなと思ってたんですけど、そこでこのLINE。これには続きがあって、このあとはしっかりマイナビのPJのお誘いがくるって言う。これでは流石に終わってないです笑」

記者「よかったです。」

伊勢本「でも、この11:23の突然のLINEに、ちゃんと即レスしている僕を褒めて欲しい!」

記者「すごいです(棒読み)。伊勢本さんののぶさんに対する敬意が伝わってきます。本当にたくさんのことをのぶさんから吸収されたんですね!」

伊勢本「すべて、のぶさんから学びました。」

カッコイイ上司

伊勢本「逆にどう言う話が聞きたいですか?」

記者「エモい話。」

伊勢本「そしたら、これですね」

"伊勢本は俺が磨き上げていきます!お任せください!”

画像4

当時の公募コメント

記者「これは…かっこいいですね!」

伊勢本「これ、僕の一番初めの公募の時ですね。僕がまだ尖り散らかしてた時で、仕事が全くできなかった(今もできませんけど)時ですね。それを初めてのぶさんが僕を救い上げた時のコメントです。こんなの一生ついていくよね、ダメなんですよね。一生ついていっちゃうもん。これかっこいいよね〜

記者「これは、カッコいい素敵な上司ですね!」

伊勢本「絶賛まだのぶさんについていってますよ。あとですね、面白いなと言うか、やっぱ普通じゃないなこの人って思ったことは2回あります。1回目はP社PJで僕にクレジットカードの情報を預けた時。笑 これはのぶさん頭悪い。もう1回が、スマホ投げた話。慶應店での事件を聞いてですけど。あの後僕のぶさんとMTGしたんですけど、『じゅんじは怒っても絶対スマホは投げたらあかんで、割れるから』と言う史上最高に訳のわからないFBKをもらったことがありますね。」

記者「すごい世界線ですね。」

最後に

伊勢本「ちょっと振り返りますね。広報の件でのぶさんに怒られ、でも公募でのぶさんに救ってもらい、そこから毎月MBOして、ちょっとずつ一緒にお仕事させてもらって、競合調査とか新規事業とか入れてもらって、経営企画はいって、P社PJやって…今ですね。」

記者「これまでそれだけ一緒にやってきて、6月末でやめるのぶさんに対して、どういう思いがありますか?」

伊勢本「あんまり実感湧かないですね。『明日までにこの資料作ってきて〜』とか、これからもLINEで言ってきそうな勢い。あんまり実感が湧いていないと言うのが本音ですね。今は、ほぼほぼ仕事離れてるんですけど、のぶさんがいなくなったから離れたんですかね、自分。きっとそうだと思う。」

記者「のぶさんから自立して行かなきゃいけないですよね」

伊勢本「やです」

記者「…」

ーー
伊勢本さん、ありがとうございました!

常にのぶさんを追いかけ、活躍してきた伊勢本さん。
のぶさんの元で成長する姿が痛いほど伝わってくる素敵なエピソードを語っていただきました。

でも、あれ?
なんか最後の締め方が不完全じゃないでしょうか?

会場にいる、伊勢本さん!しっかり締めてください〜!

記者:Moe Kuwahara
取材日:2020/06/06(Sat) 14:00-15:00