20/01/07 そうしなきゃいけないと思った

仕事中はイベント企画のことばかり考えていたのだけど、終わり際にふと明日が母の誕生日であることを思い出す。
仕事を終えたらお祝いに一人でしみじみとクレープを食べようと思ったのだが、可愛いAが仕事場まで迎えに来てくれたので断念。(2人分のクレープを買うつもりはなかった)
それならと誕生日の花を買って帰ろうとしたのだが外へ出ると雨が降っていたのでこれまた断念。花屋に行きたかったAがとても残念そうにしていたので、紀伊國屋でパウンドケーキを買って二人で食べた。  

帰宅して何気なく大昔のブログを開いた。
5年以上更新していないと思い込んでいたら、母の死の直後、更新していた。2010年〜2018年のほぼ全ての記事を読んだ。
結婚初期はそのことばかり書いているが、そこに書かれた自分の気持ちが、今はどれもピンとこない。しかし母の死にまつわる言葉たちは、脈打つ血の流れのようにリアルだった。それはまだ、記憶に新しいだけなのだろうか・・・
文字と言葉をとおしてあの日を覗き、降りかかった哀しみの大きさを再び知る。それを忘れてしまえる愚かさに泣いた。絶望感と、どんなことも忘れさせてしまう大きな力が生きる者には働くのだという明るい事実が、私の胸中に同居していた。

書き留めていて良かったと思いながら、自問している。
思い出して哀しみに傷つきながら安心するのと、やがては完全に忘れ去ってしまうことと、一体どちらが幸福だろう。どれも過ぎた日のことである。  

母の誕生日とばかり考えていて、今日が1月7日であると思い出したのは夜、布団に行く前だった。
七草粥を食べるつもりだったのに・・・。あぁ哀しい。七草粥を食べたかった。特別美味しいものでもないけど、すごく七草粥を食べたかった。
なんでだろう。
多分、母が好きそうだからだ。
母の笑う顔が見たいから、七草粥を食べなきゃいけない気がしたんだ。