19/12/22 自分の価値観に限界を感じている

Aの学期末発表会を見に行く。
ぽやっとした頬と切り立ての髪型が可愛い。Aしか目に入らない。Aの発表は、縦笛で吹く「蛍の光」だった。前回よりうんと上手で堂々としていた。そういえばAが家で笛の練習をしていたとき、下の階からクレームがくるのを恐れていつも遮っていた。ごめんよ。どうすればいいか分からないから、心の中で下の人をなじって責めている。  

ここ数日は精神的に不安定な状況が続いていた。
昨日はAを怒鳴り散らしてしまい悲しみに震えていた。どうすれば良かったのか、冷静になった今も分からない。家人のちょっとした言動をもネチネチと引きずり、ずっと不機嫌な人になっている。
自己嫌悪が募ってゆくばかり。音楽のことなんて今は微塵も考えたくない。今まで引きずってきた価値観に限界を感じている。どうにかしないと焦りながらネットであれこれと記事を読み漁り、好きな作家がお薦めしていた「NVC(ノンバイオレンスコミュニケーション)〜人と人との関係に命を吹き込む法〜」という本を買う。
仕事先はテレビ放送の影響で夏期の2倍くらいに客が増えている上、新しく入った子と同じシフトになることが多く12月はめちゃくちゃ疲れている。寝ても覚めても疲れが取れない。

もう一つある。
身近にいた人物が「働かないのに金を欲しがる男」であることが露呈し、強烈な拒絶で思考が停止している。今すぐ絶縁したい。そうしなければ彼は私に不幸をもたらす、という思い込みに、自分自身が脅かされている。自分に関係の無い人間に対し、憎しみに近いほどの拒絶を抱くなんて異常だと思う。
おそらく、先月墓参りで帰省した時に、父に対して怒りに震える出来事があったからだ。許せないと思う。その瞬間は、殺してやりたいとさえ思う。同じ行いの男に片っ端から拒絶反応を示すことは、父への復讐心に近いものなのかもしれない。
こういう時、私と家人の関係は決まって悪くなる。家人の言動の何もかもが無理解に思えて、敵視しそうになる。そんな時は対症療法的に愛情のベクトルをAへ向けることで無意識的に心を保っていたが、今回それが出来ない。
他人が無理解に私のパーソナルな部分を侵してゆく。そのことに私は無力で、不幸が招かれることを黙って見ているだけの12月だ。
自分の何もかもが「遠い昔の記憶」にまで繋がっている事実にウンザリし、生きることに投げやりになっている。