19/07/27 許せないことと許されていることの狭間で

苦しみは他人には決して分からない。
身籠っていた時と母を喪った時に強く思った。
そして今、私には最愛の人の苦しみが分からない。言葉がまるで嘘のように聞こえるほどに分からない。
不思議なことではないと思う。だって私は、死を目の前にした母の苦しみすら、ほんの少しも分からなかったのだから。分からないから労ってあげられない。それどころか苛立っているのだ。日常を奪われることに。
愛する人を愛せないフラストレーションを抱え、別の者への愛を頼りにバランスを保っている。その状態はノーマルではない。心に激しい波風が立っている。
こんな時に自信を失くす。
家人は私が苦しい時にはいつも優しい。だけど一番苦しくて辛かった時には、私を責め立てた。それを私は今も許せないでいる。
しかし今、明らかに彼を支えていない私を、家人は全く責めないのだ。
記憶と今のその狭間に私は迷い込んでいる。許せないことと許されていることとの狭間で。
見つかるのかも分からないものを探して途方に暮れている。
他人から見ればそれはさぞ恵まれた環境だろう。