19/09/19 成仏したと思うよ

昨夜、彼から折り返しがあった。
SMSの不在着信サービスでそれを知った私は、彼にメッセージを送った。返信がきて、少しの時間テキストで言葉を交わしたのだ。

少ない言葉の中で、彼の気持ちを探った。私は彼の心に何の淀みも残さなかったのだろう。平静を装いながら、余裕は無かった。未練がましさの根底には、彼とは無関係な、個人的なコンプレックスが介在している。それを押し隠して古い友人を装うことには、自分がとても卑怯な人間だと思わされる。

今日の夜、電話で彼の声を聞いた。
呼び出し音を聴いている間、気分は制裁を待つ罪人のようだった。その感情は緊張とも後悔とも嬉しさとも違って、子どもの頃に経験した恥ずかしさに似ている。自分の力が及ばぬものに引き寄せられて、後に戻れなくなった恐怖を、無邪気なふりで隠そうとしたあの頃。大人になってコントロール出来るはずだったのに、単に頑なになっただけなのかもしれない。怖かった。

5、6年ぶり聞く声は思い出よりも高く、その誤差に面食らいつつも「彼」と会話をしている実感が広がり、また、かつてと変わらない彼に安堵する。私の中にあった夢と幻と思い出が実体を前に消え去るまで、時間は要らなかった。それは一人では知り得ないことだったのだと、今になって気づく。思い出がどれだけ美化されていて、私たちの本当の関係がどういうものであったのか。

「俺たちってかなり仲良かったよね?俺だけが思ってたんじゃないよね?」

この言葉ですべて報われた気がした。15年前より、今言われるほうがずっと嬉しい。私のことを高校の頃から変わっていないと言えるのは、彼しかいないんじゃないだろうか。どんなに長い空白があっても、それをすぐに埋め合える相手を「友達」と呼ぶのかもしれない。
「3人も友達がいれば十分でしょう」と彼は言う。
思い描いていたのは美しくなり過ぎた思い出ばかりで、現実は手を伸ばせば届くものだった。
心の中に追いやっていたあの頃の私は、きっちり成仏してくれたと思う。