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43歳 文系おじさんの転職。

転職しました。

詳しくいうと、業界内で会社を移るのではなく(会社も移りましたが)職業そのものを変えるという意味での「転職」をしました。

いま40代で、今後の生き方とかはたらき方に悩んでいる方、このままでいいのかと考えている方は自分以外にもたくさんいるんじゃないのかなぁと思ったので、今回、転職に至った過程で自分が触れたもの、自分の判断の糧になったものなどについて書いておこうと思います。もしもなにかのお役に立てばと。


きっかけは、このブログでした。

あなたが機嫌がいいと、世界は機嫌がいい 【寄稿】田中泰延
http://careersupli.jp/career/kigen/

田中泰延さんの文章力、発信力とは比べるべくもありませんが、私も広告代理店のコピーライター出身で、若い頃の一時期には業界内で多少は名前が跳ねたり、それなりに大きなプロジェクトを仕切ったり、それなりの数の広告賞をいただいたりで、かれこれ20年近く広告クリエイティブ、マーケティングの仕事をしてきました。

直近は、一応上場企業のグループ子会社で、従来の広告だけでなくウェブコミュニケーション領域のUI/UXデザインを手がける企業の取締役CCOを、それと掛け持ちで新規事業として立ち上げたプロジェクトを会社化してそちらは取締役CMOを拝命し、

(もちろん浮き沈みはありましたが)傍目にはそこそこうまくいっているように見えていたのだろうと思います。私が「やめようと思ってる」と告げた相手からの反応は社内外問わずたいてい「もったいない」「えー、なんで?」「バカなんじゃないの?」という感じでしたし。(「いま以上に儲かる話があるのか?だったら噛ませろよ」という人もいました。)

それでも当の本人の機嫌はあまりよろしくありませんでした。


宮沢賢治の「ツェねずみ」

宮沢賢治の作品に「ツェねずみ」というなんとも発音しにくい童話があります。口を開けば不平不満、そして口癖が「まどうてください(弁償してください)」というねずみが主人公のお話です。(ちなみにこのねずみの名前が「ツェ」なので「ツェねずみ」)

なんとなく機嫌のよくない毎日、私は「この状況って、なにかあっても誰も”まどうて”くれないんじゃないのかなぁ…」と思いながら過ごしていました。

物を考えて言葉を書いて人を動かすストーリーにして、目の前にいる人の悩みを解きほぐすことがうれしい、そのための役に立つように自分のスキルを向上させたい。それが大好きで楽しくてもっと上手にやりたくて仕事をしてきたはずの自分が、「取締役です」「スタートアップです」「次期社長かもです」というなんだかキラキラした言葉にのぼせあがりながら(もちろんそれでたくさんいい思いもしましたがそれでもやっぱり自分で自分をごまかしながら)すさまじい労働集約モデルをぐるぐる回し、やれ資金調達だ、採用戦略だ、M&Aだという日々を送って1年後、3年後、5年後に「あ、悪いけど君の役割ってもう終わりだからさよなら」って言われたとしてそのときに「自分が本当にやりたかったのはこんなことじゃなかったのを我慢してやってきたのに!」って言ったところで誰も「まどうては」くれないんだろうなぁと。

私はなんだかいつも不安で、そして確実にイライラしていました。

そんなとき、この方の文章に出会いました。


「好きなことだけやって生きていく」という提案 【角田 陽一郎】http://www.ascom-inc.jp/post/170704/prologue.html

「好きなこと」は「楽しい」けれどそれは決して「楽なこと」ではありません。むしろ「好きなこと」をするためには「大変なこと」がたくさん出てくる。だったらその「大変なこと」も「好きなことをするための一部=好きなこと」として、「好きなこと」「やりたいこと」の到達点を上げていく、

ということなのだと私は解釈しました。

せっかく仕事を頼むなら私は、イヤイヤやる人よりもその仕事が好きで快くやってくれる人と一緒にやりたいと思います。(たぶんほとんどの方がそう思ってるんじゃないかと思います)そしてインターネット、SNSの大きな特徴を「いわゆるマスコミや広告代理店といったハブを通さなくても才能や機会が可視化され、限りなくダイレクトにコネクトできる」という点だと考えると(私はそう考えています)「好きになれないこと」を仕事にしている人は将来、私が不安に思ったみたいな「ツェねずみ状態」に陥っちゃう可能性が高いんじゃないかなぁと想像しました。

そういうことを集中して考えているとき私は、自分の不機嫌がちょっとだけおさまっていることに気がつきました。


「そんな小さなものかね?」

井上雄彦のバガボンドは全編名言・名場面のオンパレードですが、その中に若き日の柳生宗矩が戦国の剣豪上泉伊勢守信綱に剣の教えを乞う(というか挑戦する)エピソードがあります。

「すべての敵を倒したい」「天下無敵になりたい」そんな柳生宗矩に対して上泉信綱はこう答えます。

「我々が命と見立てた剣は、そんな小さなものかね?」

私には就職して以降の20代の記憶があんまりありません。「働き方の質」が問われる以前のブラック労働の代名詞のような広告業界で、文字通りほとんどの時間を会社とプロダクションの会議室と撮影スタジオと編集室で過ごし、コピーがうまくなるにはどうしたらよいのか?いいコピーとはなんなのか?伝えるために、伝わるように、自分にできることは何なのか?といったことだけを死に物狂いで考えることに費やしていたので。

大げさだと思われるかもしれませんが、命懸けだったと思います(自分的にはですけどね)。偏屈で偏狭な性格でどうしようもない学生生活を送ってきた、コネもないカネもない田舎もなければ友達もいない私のような人間がそこから「何者か」になろうと思ったらもうこのものすごい偶然と幸運で潜り込んだ広告クリエイティブの世界に賭けるしかない、と考えていたので。そして、人が人に思いを伝えるための言葉を磨くということにはそれだけの価値があると考えていたので。

おかげさまで、(まぁ99%は運がよかっただけなのですが)広告クリエイティブの世界ではずいぶんといい思い、楽しい思いをさせていただきました。「あぁ、自分には居場所がある」「目の前のこの人が喜んでくれている」「人様のお役に立っている」それを実感して涙を流せるような仕事をし、ついには若いコピーライター志望の方々に講義をするような経験までさせていただけるようになりました。

でも、私が(私に限らず広告クリエイティブに携わってきたほとんどすべての方々が)心血を注いできた従来型のマス広告はいま厳しい局面に立たされています。一言で言うと「あれってもう終わってるんじゃないの?てゆーか終わった…」と。(いわんやその一機能でしかない広告コピーにおいておや)

確かに私自身が旧来文脈のTVCM型キャンペーンに疑問を感じてWEB/UI/UXやデジタルマーケティングの世界に活動の場を広げた身でもありますので否定はできません。コピーなんて、SEO観点で単語をピックアップしてアルゴリズムで文意が通るように組み合わせてA/Bテストで一番コンバージョンが上がるのを使えばいいんだよ、という考え方もあります。(自分がそういうことを唱える会社をやってしかも結構儲かってたので、その手法のある面での正しさはむしろ積極的に認めます)

同時に私は一応、日本で一番権威があるとされているコピーライターズクラブの会員でその会が主催する広告賞の審査員をしていたこともあるのですが、そういうところに関わる方々が「いいコピー」と呼ぶような、ちょっといいことを気の利いたレトリックで言ってるようなポエトリーなコピーを全く評価していません。というか大嫌いです。それこそ「そういうのは終わったんだよ、家でやれ!」と。(ああ、言ってしまった…)

じゃあやっぱりコピーライターは終わってしまったものなのかしら。コピーライティングの、広告クリエイティブの、思いを伝えるための言葉をつむぐスキルなんて、暑苦しいだけで時代遅れの、必要なくなるものなのかしら。でも、そこで私は思ったのです。

「我々が命と見立てたコピーライティングとは、そんな小さなものかね?」と。


全盛期はいつだ?

指南役@cynanyc さんを知ったのはツイッターのタイムラインの上でした。

私自身のツイッターアカウントは数年前に作って以来、まったく放置してあったのですが、仕事の場でSNSの広告活用がよく話題に上るようになってきたので、「ユーザーってどんな気持ちなのかなぁ」が知りたくてぽつぽつとツイートを上げたりフォローする人を増やしているうちにタイムライン上で指南役さんの発言・文章を目にするようになったのがはじまりでした。(ちなみに私のアカウントは https://twitter.com/takayukihattori )

びっくりしました。やわらかそうな話題の中に流れる難しい構造をものすごく明晰にとりだして、かつやっぱりやわらかく提示するというその論理と文章の超絶的な足捌きに「あぁ、世の中にはこういうすごい人がいるのだなぁ」と。

ツイッターから知った指南役さんのご著書を追いかけるようになりました。で、そのうちの一冊に出てきた一節に「脚本家の全盛期」の話がありまして、私はそこで「綺羅星のごとき超一流脚本家の全盛期は軒並み40代だった」という事実を知り激しくショックを受けたのでした。

「あ、おれ、いま、鬱々としてる場合じゃないんじゃないの?」と。「なんかちょっと”上がったような”気になって”上がった場所”をいかに守るかみたいなこと考えてるっぽいけど本当はいまからが全力ダッシュするべきときなんじゃないの?」と。

じゃぁ、なにしよう?どうしよう?こんなことを起こすためにあんなことしたらどうだろう?

そのころから、そんなことを考える時間が増えてきて、そして私は自分の機嫌が明らかに上向いていることに気づき始めたのでした。


「将来、めしを食えなくなるんじゃないだろうか?」

「インターネット的」という本があります。名著だと思います。コミュニケーションに関わる仕事をする人ならば一度は目を通しておいたほうがいいんじゃないかなぁと。

で、この本の中にこんな一節があります。

”四十五歳の頃、ものをつくることへの危機意識を、このままの流れだと「将来、めしを食えなくなるんじゃないだろうか?」と、とてもリアルなかたちで感じるようになりました。”

この本の著者である糸井重里さんの言葉です。

じつは数年前、最初にこの本を読んだときには「何言ってんのかなー。糸井さんが食えないなんてことになるわけないじゃん。どんだけ高いめし食ってんだよ。」と思いました。広告代理店にいた頃、私が所属していたクライアントチームの別商品ラインが糸井さんとお仕事をされていたり、私がメンターとして慕っている先輩が糸井さんとお付き合いがあったりで、プロジェクトの場で糸井さんに提供されている自由度や権限の、自分たちとの大きな開きに(まぁ実績、実力の差からすればそんなの当然なのですけどね)愕然とする思いを抱えていたので、いっそう鼻白むような気がしたのかもしれません。

でも、いまはひしひしと身にしみてわかります。この一節のあとに続くパートに書かれていることひとつひとつに本当に共感できる。

そう、そこには「アイディアを考えることで食べていく。クリエイティブで食べていく。という場がなくなっていく」ということが書かれているのです。

ワクワクしました。不安でも不機嫌でもなく、むしろうれしいなぁとさえ感じました。だって、私が悩んでいることをすでに20年以上も前に考えて、その先に進んだ人がいるのです。しかもその方の武器は私と同じコピーライターのスキルで(もちろん実力は天と地ほど開いてますが)それを応用することでガシガシと前進しているのです。

ああ、私が立っているこの先には道がある。しかもその先には人が集まる「まち」まで開けているようだ。

そちら側に向けて一歩を踏み出す自分の姿を想像しました。いままで考えていたことがいろいろぜんぶつながりはじめました。そして私は私がなんだかとても前向きな「機嫌のよい私」になりつつあることに気がつきました。


というわけで、転職しました。

田中さんや角田さんのように独立したり、指南役さんが書かれた脚本家の方々のように作品を発表したり、糸井さんのように会社を起こしたりする(した)わけではありませんし、そもそもそんな度胸も実力もありません。でも、自分が考えていることに、仕事を通じて実現したいと願う世の中のかたちを叶えるために少しでもやりやすい、補助線の引きやすい場所にいきたいなぁと考えたので転職しました。

だからといって新しく入った会社が全社をあげて「クリエイティブスキルの応用!」を標榜しているわけでもないですし、そういう仕事の機会が潤沢にあふれているわけでもないですし、それ以前に自分のこれまでの実績が前提として通じてる業界でもないので、やりづらいことはたくさんあります。(むしろステップバックした感じがするときもあるぐらい)不安もあります。

でも、すくなくとも「不機嫌」と「上がった場所を汲々と守る」のスパイラルの中で鬱々とする自分はいまのところもういません。(これから私がやろうと思っている「クリエイティブスキルのアイディアエンジニアへの応用」についてはまた機会を改めて書こうと思っています。)

というわけで、

まずはここから。その先へ。機嫌よく。人生を好きなままでいられるように。じぶんがわくわくするほうに。そんなことを考えて一歩を踏み出してみた、

43歳、文系おじさんの転職でした。
















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