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なにか書きたい理由と、なにも書けない理由と、そのあいだにあるピンタレストについて、など。


書いておきたいことが出てきて筆をとったのですが、自分の字があまりに汚くてちょっとなに書いてるのかわかんなかったのでnoteにします。


ほかのところでも述べたのですが私、書くのが大嫌いでして、できれば書かずに読むだけで生きていきたいとつねづね思っているのですが、「自分が読みたいようなものがなくて、それを書きそうなのは自分ぐらいしかいない」って場合に書きます。

「自分が読みたいから書く」。基本的にはそれが私の書く理由。

だったのですが、最近ちょっと違う要素もあるなぁと思いはじめておりまして。


「ワタシハココニイマス」

広告系以外で私の書いたものが人様の目に触れた最初って「転職おじさん」のnoteなのですが、あれを書いたことによってなんというか世界が広がったんですね。

あれきっかけで、いま注目の若手スター編集者の方が主催した「ほめ会」に声かけていただけたり、最近話題の音声メディアの編集長になったすごく優秀な若者と知り合えたり、関西の大学で教鞭を執っていらっしゃる素敵な教養人のうさぎさんと友だちになれたり、ぼくのテキトーで泣き言なツイートに付き合ってくれるSNS友だちがたくさんできたり、SNSマーケティングの師匠とか、ビジネス知識を授けてくれるココロの師匠に出会えたり。

これぜんぶ、相手の方があれを読んでくださったことから生まれた出会い。私が声を出したから相手に気づいてもらえて生まれた関係。

これってなんか「タイタンの妖女」に出てくる

「ボクハココニイル、ココニイル、ココニイル」
「キミガソコニイテヨカッタ、ヨカッタ、ヨカッタ」

みたいじゃないですか。(よかったと思ってくれてるのかどうかはわかんないですがそう思っててほしいなぁ)

そう。書くこと、自分から声を出すことは、自分の外の世界に向けて「おーい」と手を振ることなんじゃないのかなぁと。そんなことを考えたので最近は、自分が読むためだけじゃなく世界に向けて手を振るためにちょっと書いたりしています。おーい。私はここにいますよ。


「きみに聴かせる腕もない」

その一方で、書けない理由ってのもあるじゃないですか?これも前にどこかで近しいことを述べたのですが、要するに「うまく書けないから書けない」っていう厄介なやつ。

これ、私は昔コピーライターだったので、人様より「書くこと」になれてるからなんとかなってたりもするのですが、(なってません?)誰もがすぐに思ったこと、考えたことを書ける、書くための言葉を持っているってわけではないんですよね。

そうするとnoteに参戦するのは難しいですし、Twitterでスパッとおもしろいことツイートする、なんてのもハードルが高い。(すみませんぼくもおもしろいツイートは人生で一回もしたことないですわ)

あと、私の場合だと写真を撮るのが苦手なのでインスタグラムでの発信には文字通り手も足も出ません。

そう。世界に向けて手を振りたいけど、「私はここにいますよー」っていうのを伝えるための声がないっていう感じ。


で、その隙間にピンタレストが合うのかも?

別にピンタレストの人からなにかもらってるわけではありません。むしろピンタレスト社に対しては思うところがありまして、

先日、ピンタレストのオフィスで「#あなたのビジネスにピンタレスト」っていうクローズドな勉強会があったようなのですが、そこに招待してもらえなかったなーってことに大変憤っているといいますか、私、キリンの島袋さんのツイートとかめちゃめちゃ見てるから直接お話聞きたかったのになー、とか、あれ?ピンタレストのOGUさんって新卒で入った代理店の俺の後輩なんじゃなかったっけ?でも呼ばないの?俺を呼ばないの?なんで?まじで?とか、まぁ書き出したらキリがないのでもうやめますね。もうおわかりかと思いますが、私、根に持つタイプです。

で、ご存知ですか?ピンタレスト。最近はnoteでもいろんな方がわかりやすい使い方の記事を書かれていますので詳しくはそちらをお読みいただくとして、

カンタンにいうと、ピンタレスト上に流れてくるビジュアル(写真やイラスト)をばーっとみて気に入ったのがあったら「ピンボタン」を押すと自分のボード(自分のタイムラインみたいなもの)にピン(貼り付け)されるっていう仕組みというかアプリ(ブラウザ版もあるけど)です。で、そのボードを世界中の人たちで見せ合いっこするという。

例えていうと、雑誌とか写真集から自分の好きな写真を切り抜いてコルクボードにどんどん貼って、見てみてーこれいいでしょーっていう感じ。

これなら、自分でイラストが描けなくても、写真が撮れなくても、文章が書けなくても、「私はこういうのが好きです」「私はこんな人なんです」ってイメージを自分以外の人に向けて発信することができるんですね。

かつ、フォロワー数が多いとか少ないとかはタイムライン上に表示されるアルゴリズムにほとんど影響を与えないそうなので、フォロワーが数人しかいなくても発信を楽しむことができる、と。(ちなみに私のフォロワーって5人しかいないのに私のボードは1,000人以上の方が見に来てくれてる感じです。)

で、私はこれ、とても素敵なことなんじゃないのかなーと思うのです。

私の個人的な哲学として「テクノロジーは持たざる者のためにこそあるべき」ってのがあるのですが、ピンタレストのこの流れは(先にも書いた通り)

文章が書けなくても、写真が撮れなくても、イラストが描けなくても、映えるイベントに参加できなくても(=声を持たざる者たちが)、

(テクノロジーの力によって)世界に向けておーいと手を振れる

というカタチになっているではないか!と。

私は子供の頃から中央集権的なものとか、中央に近いポジションにいないと存在を認めてもらえない、みたいなのが怖くて怖くて(なんかねそこに馴染めなくって排除される自分しかイメージできないんですよ…)

一部の人だけが「声を持つ」って感じよりもできれば「みんなが声を持っている」感じのほうが、私にとっては好ましいので、

誰もが「自分はここにいて、こんな人ですよー!」って声を出せる方法がありますよーどうですかー?

っていう、声を出してみた次第です。ご清聴ありがとうございました。

それにしてもピンタレストの勉強会、なんで呼ばれなかったのかなぁ。jigenさんの話聞きたかったなぁ。俺、ハヤカワ五味さんのファンなんだけどなぁ。行きたかったなぁ。ねぇ、ねぇなんで小串くん?てゆーかキミ、何年入社だったっけ?

そう。私、非常に深く根に持つタイプです。






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